ガソリン税、道路維持財源、一般財源、暫定税率廃止、などなど、この頃、日本中を色んな思惑や言葉が飛び交っている。
それは何を意味するのだろうか?
今、日本の国の財政は赤字でヒーヒー言っているらしい。
それもそのはずで、十年以上続く不景気による国内消費の低迷や不景気による倒産の増加と、大企業が大変儲かっているにもかかわらず減税の恩恵を受けているから税収があがるわけがない、とうことがある。
リストラや雇用体系などが変わり、安定した収入や増収も見込めなくなり、一般消費は冷えるばかりだ。これも税収が減る原因のひとつでもある。
また、国民から預かった血税、年金を増やすはずの運用(投機?)に失敗し、数兆円単位の損が出ているという。
そのほかにも、国民から預かった年金で、馬鹿げた遊興施設を採算度外視で建設し続け、景気が良ければバレずに済んだものを、景気が悪くなって、次々に膨大な赤字が露呈し、何百億も国民の血税で建設された施設がタダ同然で叩き売られた。
これでは幾らお金があっても、国にお金が貯まるわけがない。
それらの国に莫大な損失を与えた行為、個人、団体に対して、懲罰が下ったという記憶もなければ、賠償責任が発生したという記憶もないのだが、とても不思議な話である。
国民の国に預けたお金が減らされたことについては何の補償もないばかりか、その足りなくなった部分を更に国民に負担を強いているのが今の日本国政府と言えないだろうか?
国民は国にとって打ち出の小槌ではない。
国民は人間である。叩けば痛いし、傷つけば血も出る生身の人間だということを、国は忘れているのではないだろうか?
日本国民を税金を出し続ける装置のようにしか思っていない国だから、そこに住む国民たちは、増税に怯える日々を送らざるを得ない。
それも、この不景気にだ・・・。
その状況の中で、私は面白いことに気付いた。
それぞれの生活レベルや生活環境によって、国民たちは自分に増税と言う名のババが回ってこないか戦々恐々としているということに。
車を持っている人達は、車に関する税金を払うのに苦心して生活しているのだから、ガソリン税の暫定税率や重量税の暫定税率に関する問題は、今後の生活に深く関わる大問題である。
だから、車に絡む増税には反対で当たり前だ。
一方、車を持たない人たちは、車を持っている人に対する共感の気持ちは皆無だといえるだろう。
ひとつは、車を所有したことがないので、車が人生や生活に与えるメリットも知らないし、掛かる維持費の大変さなどもわからないということがある。どれだけの税金が、車を所有している人たちから払われているかも知らないだろう。
そして、もうひとつは、自分たちが持てない車という贅沢品を持つ人たちに対する、妬みの気持ちがあるだろう。だから、「そんなに必要なら、高い税金を払ってでも持てば良い」という論調も生まれるのだろう。
車というものはピンキリで、贅沢なスポーツカーや高級車もあるのだが、実際には大部分の国民にとっては実用品なのだ。
車が贅沢品であるという考え方は、一見、貧乏な人の側に立っているように見えるが、結果的に国民全体の生活レベルを押し下げる偏った考え方だと思う。
「足があるのだから歩けば良いだろう、健康にも良いし、環境にも良い・・・。」
その言葉を、車を持たない人生を奨励することに利用し、実際には欲しくても持てない、貧乏な暮らしを強いられている現実から目を逸らさせている。
だが、車の利用を否定することは、これまでの日本の繁栄のすべてを否定することに他ならない。
日本人が車が好きで、車を作る技術が他の国の人たちよりも勝っていたため、車は日本の基幹産業となって国の繁栄を支え続けた。
反対に、日本人が環境に配慮し、歩くことにこだわっていたとしたら、今のような位置にはいることはなかったろう・・・。
環境だ何だとは、国が豊かであって初めて言える言葉ではないだろうか?国民一人一人が豊かな生活を送れる一流国であって初めて、環境をリードすることが出来るのではないだろうか?
残念ながら、今の日本はこれには当てはまらない。
「環境」とは便利な言葉だ。この言葉を使えば、とりあえず、話を切り上げることが出来る。だから政治家が好んで使うようになったのだろうが。
ところで、自分は車を持たず、車を持つ人が払う重税に積極的に肯定的な人達がいるようだが、これらの人達は、実は「消費税増税」を恐れていたりする。
物を持たない生活をしている人たちにとって、消費税だけがライフスタイルに関わらず、逃れられない税金だからだ。
今の政府与党のやり方を見ていると、これらの人たちに消費税増税をちらつかせながら、妬み心を巧みに突き、ガソリン税暫定税率復活に利用しているような気がする。
消費税増税は嫌だが、ガソリン税は自分たちには関係ないからOKと思う車を持たない人は少なくないはずだ。
増税が必要と言うなら、自分には関係ないもの、出来れば自分よりも良い暮らしをしている人が苦しむような増税して欲しい。
それが今の国民の気持ちだとしたら、余り良い状況じゃないと私は思う。
物を持たない人たちは気付かないかもしれないが、この先、車や家のような資産を持てなくなる人が増えた場合、その物によって得られる税収は減り、そのツケは一般的な消費されるものに対する増税となって返ってくることも考えられる。
つまり、努力した人たちが資産を持ち、その人たちから徴収する税金によって、それ以外の物を持たない人たちも恩恵を受けているということを忘れてはいけない。
税金は懲罰ではない。
人はみな平等と言うのであれば、平等に課税されなければいけない、ということも考えられる。
大金持ちは別として、庶民同士が税金を巡っていがみ合ったり、対立する構図は良くない。国に利用されることはあっても、国民に利益をもたらすとは到底思えない。
地方では東京や都会が、若者にとっては中高年や高齢者が仮想敵となっている風潮も気になる。
みな自分の利益、自分の生活が第一であるのは当然なのだが、現在の日本では相手に対する思いやりや共感の気持ちが著しく低下している。かつてはあったものなのに・・・。
国民の多くが楽しい青春時代を過ごし、遊び、結婚し、子供を持ち、マイホームが夢だった時代は、国民間に「共感」を呼べるものがあった。
今、それが崩れ、バラバラとなった国民、とりわけバブル崩壊後の疲弊した日本で育った層、古きよき日本を知らない層は、自分と違う立場の人たちを憎んだり、妬んだり、或いは無関心だったり、だ。
若い人たちの中には「バブルが悪い」としきりに言う人が多い。
どこで誰が何の目的でこういうことを若い人たちに刷り込んでいるのかなぁ?
言葉を変えれば、今までの日本の好景気が今の不況の原因ということになる。全く意味がわからない。
日々の暮らしに追われれば追われるほど、人のことなどどうでも良くなるし、考える余裕などなくなる。
国が財政難だと公言してはばからないのだから、いずれ増税は自分の身にも降りかかってくる可能性がかなり高い。
それで良いのか、自分にさえ増税が来なければそれで問題は解決するのか、今は国民、有権者一人一人が真剣に考えなければならな時だと思う。
仮想敵だと刷り込まれた相手の足を引っ張ることに精を出すのではなく、どうして今の状況が起きたのか?誰のせいでこうなったのか?今後、どうなったら自分たちは幸せになれるのか・・・?
一人一人が考え、何らかの方法で自分の考えを主張しなければ、何も解決しないであろう。
今はどんな人でも国のやっていることに注目しなければいけないと思う。国を動かしている人達は、弱者に対して優しくはないのだから。