ペット

自動車メーカーとお犬様

 以前からホンダのサイト内に「Honda Dog」というコンテンツがあることは知っていた。

 「わんこと行こう、おでかけスポット」とか、犬連れで出掛けるのに役に立つ情報が載っている。

 うちも犬連れで出掛けることがあるので、時々チェックしている。

 先日、そのホンダのサイトをぶらぶら見ていたら、驚愕のコンテンツを発見してしまった。

 その名も「わんこにもやさしいディーラー」 第一号店誕生!!!

 「みなさまのご要望にお応えして、愛犬と一緒に行けるディーラー「わんこにもやさしいディーラー1号店」が、Honda Cars神奈川北 鷺沼店に誕生しました!」とあった。

 む、む、む、む、む~~~~~~~~~。

 特徴① 愛犬と一緒に展示車をご覧になれます。

 特徴② 愛犬も一緒に商談OK.

 特徴③ トラベルドッグアクセサリーをお試しいただけます。

 特徴④ 点検や修理の時には、愛犬とドッグランなどで遊べます。

 そして、そのディーラーの一角には、水飲みボウルとうんち用ごみ箱、わんこ用マットなどの愛犬用グッズが用意されているという・・・。

 まさに至れり尽くせりではないか・・・!!!

 「愛犬」がグズれば、飼い主は「今日は帰ります」と言い出すはずだから、わんこのご機嫌を取る必要があるわけだ。

 これには愛犬家の私もビックリした。

 興味を惹かれて、他の自動車メーカーのサイトもチェックしてみた。

 トヨタでは、カローラトヨタのサイトに「C Loves Dog」という「愛犬と一緒に、クルマに乗ってでかけよう」というコンセプトのコンテンツがあった。

 Honda Dogと同じように愛犬と一緒に出掛けるためのお役立ち情報を提供している。

 日産では犬関係の特別なコンテンツは探し出すことは出来なかったが、日産ライフケアビークル(福祉車両)の中にペットをのせたい というコンテンツがあった。

 年老いて足腰が弱ったペットのために、スライド式の補助用ステップが出てくる車が紹介されていた。

 ステップ自体は、スロープ式のランプの方が良いんじゃないかな?という感想だが、その商品販売コンセプトには脱帽した。

 年老いた愛犬に配慮するという視点は、愛犬家から見て「合格!」と言える。

 この中ではホンダが一番の古株だと思うが、愛犬家を取り込もうとしているところは先見の明があったと言えるかも知れない。

 今や若い人はお金がなく、不景気や雇用体系の変化にもよって、日本人の可処分所得は劇的に減った。

 車を買える見込みのない人々が増え、それらの人々は「車は贅沢品」とやっかみとも恨みとも憧れともつかないことを言い出す始末だ。

 その中にあって、自動車メーカーにとって、犬を飼っている夫婦、家族は、大事な大事なお客さんなのである。

 その事にホンダはいち早く気づいていたことになる。

 ホンダのホームサーキットであるもてぎサーキットでは、犬連れ観戦OKのレースイベントさえある。

 小型犬ならいざ知らず、中型から大型犬を飼っている人にとって車は必需品だ。

 まず、獣医さんに犬を連れて行くために、車は必ず必要だ。

 人間と違い、タクシーやバス、救急車を利用することが出来ないからだ。

 そしてまた、犬を飼うことは、ある一定の条件を満たす環境にあることを意味する。

 一般的な賃貸住宅や団地ではペットは禁止である。

 犬を飼えると言うことは、多くの場合、持ち家を持っていることを意味する。

 人間の子供であれば、賃貸アパートでも公団でも持つことが可能であるが、それが大型犬だったりすると持ち家でなければ厳しい。

 その上、犬を飼っている人の中には、犬のためならお金を使うことを厭わない人たちが少なからず存在するのだ。

 子供のいない夫婦は言うに及ばず、子供が巣立ってから犬を飼いだした夫婦であっても、我が子以上に愛情を注ぐ愛犬家は多い。

 犬は人と違い、生まれたときから死ぬまで、飼い主たちにとっては「赤ちゃん」や「幼児」のような存在だからだと思う。

 市場のパイが縮まってしまった今、愛犬家たちは自動車メーカーに魅力的に映っているだろう。

 それが社会に与える影響は?

 ある。

 愛犬家やその愛犬(お犬様)たちが市場社会で優遇されることにより、不快になる人々が存在するからだ・・・。

 それにしても、ホンダのサイト上のわんこと飼い主のイラストや写真はほほえましい。

 そういえば、夏の軽井沢も犬連れウェルカムだったなぁ・・・。

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外で待っている子

 先日、近所のスーパーへ行くと、駐車場内の歩道のガードレールにリードでつながれたイングリッシュ・スプリンガー・スパニエルを見かけた。

 標準サイズはわからないが、小柄なわんちゃんだった。

 人が通るたびに尻尾を振ってアイコンタクトを取り、お座りするような人なつこい子で、ちゃんとした家で暮らしている風だった。

 飼い主はたぶんスーパーの中で買い物をしているのだろう。

 どうして家で留守番させないのだろう?

 無防備な状態で愛犬を店の外に繋ぎ、数分か十数分か数十分かわからないが、犬を平気で放置する人の気持ちはわからない。

 心ない人に毒を盛られたり、おかしな物を食べさせられたり、誘拐されたり、叩かれたり、足蹴にされないとも限らないのに。

 犬なんか蹴られたら一発で死ぬ。(即死ではなく)

 その犬は、その程度の犬ということなのか。

 可哀想だなと思った。

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大きい犬、小さい犬

 今はミニチュア・ダックスフントが流行りなのだろうか?

 犬用のトイレシーツの図柄は、つぶらな瞳のダックスだったりする。

 小さいから、抱っこすることも出来る。

 私は個人的には、ダックスやコーギーの胴の長さが嫌い、というより不安だから好きじゃない。

 腰を痛めそうで、それだけが心配だ。

 さて、我が家の犬は大型犬だ。

 最近気づいたことなのだが、小型犬の食費は大型犬の何分の一だ・・・・・・。

 それだけではない。

 薬だろうが、麻酔の量だろうが、トイレシーツのサイズや量、洋服、首輪、すべてに渡って、小型犬は割安なのである。

 うーーーーむーーーー。

 そんな単純なことに長い間思い至らなかった。

 今年に入って、どこかのサイトで、小型犬の食費が月数千円という話を読んだ時には衝撃を受けたものだ。

 予算に合わせて車のサイズを決める人がいるように、予算に合わせて犬のサイズを決める人っているのかしらん?

 うちは、何を買うにも、維持費のことは余り考えたことがなかったような気がする。

 見た目が一番!みたいな。

 だから、お金がないのかもしれないが。

 そのことを夫に話したところ、だから何?と言わんばかりの扱いを受けた。

 「大きくても小さくても、飼い主が犬を可愛いと思う気持ちは同じだよ。」

 ですと。

 なるほどね。

 そうだけどね。

 不景気になって小型犬が流行るのか、大型犬の世話やしつけが大変だから小型犬が流行るのか、ちょっと微妙だ。

 家や庭が狭ければ、大型犬が自由に走り回ることも出来ないだろう。

 大きなガソリン食いの車が市場の第一線から消えて行く様に、大型犬も減っていくのかなぁ?

 ちょっと寂しい。

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燃費の悪い大排気量車のように

 うちには可愛いワンちゃんがいる。

 いわゆる大型犬だ。

 買ったときは10万円に満たなかったのだけれど、この子のQOLを維持するためには、結構お金が掛かる。

 ご飯やサプリメント、持病ありなので薬代、医療費などを含めて、月に3万円は掛かっているはず。

 これは節約家族3人分の一ヶ月の食費くらいじゃないだろか。

 お金掛かる・・・。(トホ)

 犬を飼うことに関係ない人はわからないだろうが、ワンちゃんも人間と一緒で、年を取るといろんなところに故障や病気が出てくるわけなのですよ。

 何もしなければ、あちこち痛かったり、老化が進んだり。

 そのため、お金は年齢に比例して掛かって行く。

 だけど、食べ物が大事なのは人間と同じ、いや、人間以上にダイレクトに響くかも。

 安いドッグフードはダメ。

 栄養のある良い物を食べているワンちゃんは、見た目で明らかに違うから。

 そうすると、ますます・・・。

 親はボロは着ていても、子供には良い物を食べさせる。

 元気に長生きしてくれれば、それで良いんだ。

 優先順位1番。不動のNO.1。

 幸せな犬だと思う。

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呪いの言葉(たぶん)

 日本のある所には、要らなくなった犬や猫を回収する車があるという。

 先日もニュース番組でそういう事を紹介していた。

 要らなくなった犬や猫の末路は陰惨で悲しい。

 冷たい檻に入れられ、やがて二酸化炭素によって窒息死させられる。

 死を待つ者の気分ってどんなものだろう。

 動物は人間よりもある意味敏感だ。

 不安に戦き、鳴くだろう。

 決して届くことのない悲鳴を上げて、ただ殺されることを恐れながら待つのだ。

 楽な死は待っていない。

 そのことを犬や猫を捨てた者たちは知るべきである。

 ある者は自分が捨てた犬や猫の味わった痛みや苦しみを考えることなく、一生を終えるかもしれない。

 だが、そこにあるのは安息だろうか?

 自分が飼っていた犬を保健所に連れて行くことの意味を知らない人、知ろうとしない人、正当化する人がなんと多いことか。

 そんな人間を私は知っている。

 彼はその犬がどんな運命を辿ったか、深く考えたことなどないだろう。

 しかし、もしかしたら、その彼は、その犬が最後に受けた苦しみだけは知って、あの世に旅立ったのかもしれない。

 息を詰まらせ、苦悶の内に、もがき苦しんで死ぬということは、人間にも起こりうるのである。

 痛みや苦しみとは個人的な体験で、他人には推し量ることしか出来ないが、彼の亡骸は雄弁に自分が受けた苦しみを語っていた。

 それを因果応報とは言わないけれど。

 魂あるものの命を奪うことは、大変なことだと思う。

 敢えてそれをするということは、その領域に自分が足を踏み入れたということなのだ。

 だから、

 覚悟して待てばいい。

 この世には心を持たない人が少なからず存在する。

 動物たちは自立できない立場で、関わりを持つならば扶養する義務があるのではないだろうか。 

 

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