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Facebookに見るゲームによるコミュニケーション

 ここのところブログの更新が進まないのは、多分、Facebookのゲームのせいだと思う。

 好きなときにやり、嫌ならやらなければいい・・・が成り立ちづらいのがソーシャルネットワークサービス関連のゲームである。

 たとえば農場ゲーム。

 これは人気があるのだろう。幾つかのメーカーから出ている。

 土地を耕し、種を買い、種を蒔いて数時間から数日で収穫を迎える。そしてそれで得たコインで耕作地を増やしたり、樹木や家畜を殖やす・・・という仕組みである。

 それぞれ数人からの隣組的なグループを作り、お互いの耕作地を行き来し手伝い、それによって点数とコインを稼ぐ。

 ゲーム中にチャットなどのコミュニケーションを取ることもできるし、友達以外の新たな出会いを探したければ、市場や町などの場所で気に入ったavatar(ゲーム参加者のゲーム内での姿形)に声を掛けることも可能だ。

 農業であるからには、下手をすれば数時間放置しただけで畑が枯れて惨めな姿を晒すこともある。

 こういうのは見ていて気持ちの良い物ではないし、隣組の友達に対して実に格好悪い。

 それがこの手のゲームの核心部分だろう。

 毎日マメに来させるように工夫がなされている。

 また、一人でやるゲームではなく、友だちに自分がどういうゲームの展開をしているのかを見られるところが最高に面白く、病み付きになる部分に違いない。

 耕作地の配置や農作物の好みにも人柄は反映される。

 こつこつと耕作してコインを増やし施設を増やしたり農地面積を増やす人もあれば、手っ取り早く現金を入れて手に入れる人もいる。

 そして、自分のことを棚に上げ、

 「マジ、この人たちってば又ゲームやっている!ゲーム中毒じゃないの?」なんて友だちに対して思ったり。(笑)

 バーチャルの世界で、実際に知っている友だち同士があれやこれやと面白おかしく遊んでいる・・・。

 物を贈り合ったり、助け合ったり。競い合ったり。

 それがソーシャルネットワークサービス上のゲームによるコミュニケーションの手法なのだろう。

 毎日、毎日、これを繰り返せば、矢張りお互いに親しみは増し、前よりも仲良くなって当たり前だ。

 そして、何よりも、「自分だけがゲーム中毒じゃないんだ!」という安心感を得られるところが良いんじゃないかな?(笑)

 最近、思うのは、これらのゲーム会社が軒並みてこ入れ中ということである。

 どんどん魅力的なパーツやオプションを増やしている。

 参加者が減ったからなのか?

 だとすれば、これらのゲームも現実社会の景気感と間違いなく連動しているという感じがする。

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資本主義とゲーム

 ここのところ、Facebookでゲームに追いまくられて暮らしている。

 頻繁にゲームの世界と接している内に、そのゲームの中に共通している哲学のようなものが見えてきた。

 それは、ずばり資本主義社会、貨幣経済というものだ。

 ゲームの中で物を保有したり、色んな活動をするために、ゲーム内でのバーチャルなお金が必要となる。

 絶対にお金が掛かる。

 そのために働く、というのがそれだ。

 何か欲しい物があり、それを手に入れるためにお金を稼ぐ。そして、努力して働けば働くほどお金は増える。

 資本主義、貨幣社会では基本中の基本であるが、日本ではこの思想はないがしろにされてきたような気がする。

 それが、ゲームをやることによって、毎日、毎日、資本主義社会の原則を思い知らされることになる。

 実に興味深い。

 Facebookはソーシャルネットワークなのだから、必ず誰かと繋がっていることになる。

 そこで友達を募って、しかしながら個々にゲームで活動をする。

 ゲームを維持するためにスポンサーが広告を出しているのだが、なるべくそのゲームに頻繁に来させ、多くの人間に広告を見て貰う、ということがある。

 出来ればゲーム中毒にしたい。

 そのための仕掛けがいっぱいある。

 毎日ゲームに参加するたびにお金が得られる。

 くじ引きや福引きのようなギャンブル性。

 集めたくなるような魅力的なビジュアルのグッズ。(結構くだらないが、本当に欲しくなる!!)

 大体が、レベル1からレベル2,3,4,・・・・と成り上っていく仕組みだから、人の競争心を掻き立てる。

 対戦型のゲームは特に大人気だ。

 集める、戦う、上り詰める、そしてお金を稼ぐ。お金の遣り繰りする。更にメンバーを募集する。

 それが多くのゲームの共通するところだろう。

 友達を沢山誘えばポイントが溜まり、それがゲームの中で貨幣となり、欲しい物を手に入れることが出来たりする。

 それに付き合わされる友達はたまったものじゃない・・・というのはあるかもしれない。

 ゲームの中で買い物をすることで、スポンサーがエコ活動や動物保護活動に現実のお金を寄付する、というシステムのゲームも沢山ある。

 ゲームの中のポイントや貨幣がダイレクトに現実社会のお金と繋がっている。

 ゲームの中で良い服を着たり、良い道具を持ったり、素敵なプレゼントを友達に贈りたい場合、どうしてもゲーム内での貨幣が足りなくなるか、貨幣を稼ぐためにはうんと時間が掛かる。

 その場合、現実のお金やクレジットカードで貨幣やポイントを購入すれば良い。

 この課金システムは素晴らしいと思う。

 どこの世界でもバーチャルでも、人は虚栄心や物欲を持っている。

 それを競わせお金を使わせる。

 一回につき500円程度のお金である。

 中毒にしてお金を払わせる。

 そう書いてしまうと悪いことのように聞こえるが、中毒という言葉は、当事者にとっては「心酔して」とか「夢中になって」、「気に入って」という言葉に置き換えることが出来るだろう。

 すべての商売の基本ではないだろうか?

 インターネットというバーチャルな世界でいかにしてお金を得るかが課題になっていると聞く。

 Facebookのゲームのやり方はなかなか良いと感心している。

 私の友達の中でも、それらのゲームにお金を使っている人は存在する。

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Facebookという名のゲーム地獄

 ここのところ、Facebookでゲームに支配された生活を送っているような気がする。

 Facebookとはインターネット世界のソーシャルネットワークサービスの一つである。

 日本のmixiと一番大きな違いは、本名で参加することが大原則になっているということではないだろうか?

 それ故に日本では余り人気がないと聞いたことがある。

 参加すればわかるのであるが、本名で参加しないと確かに意味がないかも知れない。

 私も本名での参加はかなりの抵抗があったが、やむにやまれぬ事情で?参加したところ、瞬く間に友達の輪ができあがった。

 Facebookの中に一人でも知り合いがいれば、その人の交友関係から「この人はあなたの友達じゃないですか?」とFacebookが紹介してくれるのだからありがたい。

 結果的に対面を保つ程度の人数は確保できた。(笑)

 あくまで現実社会にある人間関係の延長線上にあるものだから、一人も友達がいない状態で参加してもなかなか人間関係を広げていくことは大変だと思う。

 そのFacebookであるが、毎日、毎日、飽くことなく友達からrequestが送られてくる。

 それはアメリカ人などがおびただしい数の写真付きメールを送ってくる感覚と似ている。

 日本にはない習慣と言っても良いだろう。

 面白いもの、可愛いもの、ためになる情報を友達にシェアリングするという精神がFacebookの中に息づいているのだと思う。

 いや、Facebookだけではない。欧米のネット社会はその精神で満ちあふれている。

 国をまたぎ、ジャンルが違う関係で外国人と付き合いがあるが、同じ写真がメールで世界中を飛び回ってることがわかったりする。

 個人レベルでは、日本には根付かない物の一つかも知れない。

 自分にとって必要な情報は欲しいがそれ以外のものは断固拒否!という性質の人間が多すぎて・・・。

 それは綺麗な花の写真だったりイラストだったり、ゲームに付随した贈り物であったりするわけだが、その遣り取りだけでも結構時間は食うものだ。

 Facebookにおいては「お返し」が基本であるから、贈り贈られが延々と続くことになる。

 まさに蟻地獄。

 私にはお気に入りのバーチャルゲームがあって、それは毎日、何度も何度もチェックして大事に進化させている。

 マメにずっとやり続けなければ、今まで積み上げてきた成果が台無しになってしまう・・・。

 そして、そのゲームだが、私がどんなゲームにはまっているのかも友達間でシェアリングされる。

 個人対個人のメールと違い、一見して誰がどんな書き込みをしているか読み取れるし、声を掛け合わなくても「あ、生きているな」程度には認識できる安心感がある。

 Facebook内でメールの遣り取りも出来るし。

 誰が今ネットを繋いでいるかもわかる。

 友達間の遣り取りだから、自己満足の独り言をつぶやいたり、自己満足の写真を投稿することだってOK。

 写真を投稿されて何かコメントを書くのが面倒な時は、「I like it」ボタンをクリックすれば相手に好意は通じる仕組みだ。

 楽にコミュニケーションが取れるという点で、非常に進んだコミュニケーションツールであると思う。

 ゲームでメンバーに毎日アクセスさせるという点も賢い。(笑)

 私はmixiは余り好きではないがFacebookは好きである。

 

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