ニュース

大手流通の動き方に市場独占の激化を予測する

 ローソンとマツキヨが提携するというニュースがあった。

 これで、一部(主要な)医薬品のネット販売規制の背景にあったものが表に出た形だ。

 ネットでの家庭薬の販売を阻みたかったは、コンビニで薬を売りたかった大手流通であったということになる。

 これでは楽天などのネットの業界は太刀打ちできなかっただろう、と思う。

 そして、更に大手流通の市場支配が進むことになる。

 イオンやイトーヨーカドーに代表されるような大手流通がメーカーを凌駕し、商品の販売価格を決めていく。

 メーカーは大手流通の望むままの、コスト至上主義の商品を作り続けることとなる。

 コンビニではコンビニが売りたい商品だけが棚に並び、知らず知らずの内に消費者からは幅広い選択の自由は奪われていく。

 大手流通やメーカー同士の提携、合併が進めば進むほどこの傾向は顕著になっていく。

 そして、庶民は益々与えられた物しか手に入れられなくなる。

 大手流通の市販薬のプライベートブランド化は一種の貧困ビジネスと言えるだろう。

 健康保険を払えなくなり、医者に掛かれなくなった庶民達でも市販薬なら買う。

 その市場を逃す手はない・・・。

 これから政権交代が起こるかも知れないと言われているが、人々を取り巻く状況から読み取れるのは、ますますの大手流通の市場独占社会の到来である。

 市販薬で事足りるのなら、何故健康保険料を払ってまで医者に掛かる必要があるだろう?

 流通各社はいち早く貧する人々のニーズに応えようとしている。

 そして、又、小さくなったパイを大手が丸飲みしようとしている。

 パイを奪い合う競争相手は完膚なまでに叩き潰されるか、アメーバのように同化されていく。

 小規模の薬局は潰れていく運命だ。唯一の将来性であったはずのネットでの販売の道も断たれた・・・。

 車を持てる人が減り、大規模な郊外型店舗に行き詰まりを感じた大手流通は、市街地に点在し、人々の徒歩圏内、自転車圏内に店を構えるコンビニで物を売る方向へシフトした。

 市場がある所に触手を伸ばし進出しその市場を独占し、そこに利がなくなれば撤退し別の方向へ移る。

 彼らが撤退した後には何が残るのだろう?そこで働いていた人々は失業し、そこで買い物をしていた人は物が買えなくなる。

 これらのモラルなき市場独占の流通の動き方によって、一番損をしているのは国民ではないだろうか?

 大手流通の動き方によって、急激に国民の生活は型にはめられていく。

|

オバマジョリティって?

 広島の原爆記念日のニュースを見た。

 広島は核廃絶のメッセージを「オバマジョリティ」という言葉に乗せて発信するそうだ。

 オバマジョリティとは、アメリカのオバマとマジョリティをつなげて作った造語である。

 いつからオバマや核廃絶が世界のマジョリティになったのかは知らない。

 そのためなのか、このニュースを聞いて違和感を感じた。

 第二次世界大戦中、広島はアメリカ軍によって原爆投下されたのではなかったか?

 それによって現在までも続く大きな苦しみを負わされたのではなかったのか?

 アメリカは戦勝国で日本は敗戦国。

 アメリカは原爆の加害国で日本は被害国だ。

 その立場の違いをわかるのなら、オバマジョリティなどという軽い言葉で核廃絶を世界に訴えることなど到底出来ないだろう。

 日本はアメリカによって徹底的に叩きのめされ、焼土と化した歴史を背負っている。

 原爆投下をアメリカの大多数の国民は「正しかった」と思っているという。

 私の知り合いのアメリカ人も同じ意見だった。

 しかも、そのアメリカは核を放棄してはいないのだ。

 自分は核を持ち続け、他国には核廃絶を訴えている。

 それがアメリカがやっていることで、オバマはそのアメリカの大統領なのだ。

 これでは広島の原爆の悲劇が年を追うごとに風化していくのも当たり前だ。

 広島自らがその道を歩んでいるのだからどうにもならない。

 日本は世界の唯一の核被爆国だ。その思いを他国と共有することはあり得ない。

 この苦しみは日本だけのものだからだ。

 そのことを日本は静かにそして地味に真面目に訴え続けることしか出来ないと思う。

|

松村邦洋の心筋梗塞について思う

 3月22日に行われた東京マラソンで、タレントの松村邦洋さんが心筋梗塞で倒れたという。

 意識不明の重体であるということだ。

 彼はテレビの仕事でフルマラソンを引き受けたのだろうか?

 事前にトレーニングをしていようがいまいが、糖尿病歴が長くなれば合併症が発症することは冷徹な事実である。

 心筋梗塞はその中でも重篤な合併症だ。

 私の周りを見ても、一回で亡くなるケースは少ないが、血管や心臓の機能が元に戻るケースは殆どないので、その後何回かの発作が起きれば亡くなる・・・と本人は思っているかどうか解らないが、少なくとも周りはそう見ている。

 糖尿から失明、人工透析、四肢の切断、などがあったとしても驚くには値しない。

 それは私の周りに何人かのサンプルがあるからなのかもしれない。

 一番不思議なのは、本人がどうにもならない状態(人工透析や失明、切断、心筋梗塞など)になるまで、殆ど楽観的でいられるということだ。

 健康に気を遣って生きている人間には全く理解できない生き方だ。

 人工透析が必要になったら、人工透析を受ければ良いじゃん!という簡単な話では決してない。

 だが、実際には、指が壊死して切断しても、人工透析生活がスタートしても、足が不自由になっても、普通に?人間は生きられるものだ。

 内面の葛藤は表からは知るよしもないのだが、それで食生活が改善されたという話は聞かない。

 カテーテルの手術は辛くはないのだろうか?

 透析のために皮膚に針を刺すことは痛くはないのだろうか?

 人生に絶望や不安を感じることはないのだろうか?

 苦しいことや深刻なことは何も考えず、好きな物を食すことで気を紛らわせ、日々の仕事に忙殺され、仕事中に命を落とせば精神的には楽な死に方なのだろうか?

 人々はある程度生き方の選択が出来るはずだ。

 金のために健康や肉体を削るような生き方は見ていて辛い。

 不健康に太った糖尿病の病人をフルマラソンに出すこと自体、醜悪で残酷な殺人ショーのようだ。

 何故それが許されたのか、誰がOKを出したのか、今のところ誰も追求する者はいない。

 国を挙げてメタボ健診なるものを推進して、国民の健康意識を高めている最中、こんな愚挙が許されるのだろうか?

 しかも、今回の東京マラソンは、東京オリンピック誘致の協賛イベントの色が濃かったのではないか?

 そのイベントでタレントやアナウンサーを使い、健康をアピールするどころか、業界や国、都、すべてを含めて金や利権にからむ矛盾を露呈した。

 本来なら、糖尿病に対する警鐘を鳴らすべき事件なのに、それをやってしまっては、外食産業、加工食品業界、嗜好品の業界、お菓子の業界、すべてが損害を被ることになるということはあるかもしれない。

 ラーメン一気食い。

 常軌を逸したような大食い。

 高脂血症を助長するような食べ物の氾濫。

 金のためには何でもするという業界の体質。

 今回の事件は、起こるべくして起きたと言って良いだろう。

 糖尿病の患者の増加は止まらず、一方で、透析をする病院は減る傾向にあるという。

 それがこの先何を意味するのか?

 日本は、死にそうな国民を見殺しにしたり、見せ物にしたりする、そんな国になってはいけない。

 

|

医薬品の通信販売の大幅規制強化とは?

 2009年の6月に医薬品の通信販売に関する規制強化が施行されるという。

 官による自由経済への妨害行為とも言えるような信じられない暴挙である。

 何故規制されなければならないのか?

 それは、医薬品を含むすべての「通販」に対する既存の販売形態の宣戦布告と呼んでも良いかもしれない。

 既存の販売形態とは、店舗を持ち、そこで物を売ることを言う。

 薬屋ならマツモトキヨシ、サンドラッグなどが大きいところだろう。

 それらの店舗は大きいが故に、小規模な店がコストをかけず通販で安い値段の薬を売るような芸当は出来ない。

 どうしても場所代、建物代が薬の値段に乗ってしまうからだ。

 元手をかけずにぼろ儲け、みたいな通販の形態が憎くて憎くてたまらないのだろう。

 消費者はネットを使って一番安い値段で薬を買うことが可能だ。

 そのとき、売っているお店の地域や建物などは殆ど関係ない。

 この規制強化が行われれば、(多分、行われる)消費者は、この「一番安い薬を買う権利」を奪われることになる。

 病院の薬局で処方するような薬が通販で買えないというなら話はわかるが、一般的な風邪薬が通販で買えないというのはどうも解せない。

 病院でしか買えない、処方箋がなければ買えない薬も、処方箋のコピーを提示すれば通販で買えないというのもおかしな話だ。

 身分を証明できればまかり通る世の中なのに、薬品だけが別というのはおかしな話だ。

 それが証拠に、店舗を持つ一般的な薬屋で処方箋の薬が買えるのだから。

 こちらは以前に規制緩和されている。

 規制緩和、規制強化、どちらも店舗で対面販売をする薬屋に有利になる話であることが実に興味深い。

 更に、驚くべき事は、特定の条件を満たせば、コンビニでも風邪薬などを販売できるという話も同時に出ているのだ。

 どの場合でも、私のような一般消費者は蚊帳の外で、法案が決まってから知らされることが殆どではないか?

 そのことによって侵害を受けるはずの消費者の権利は考慮されることはない。

 一部の薬害被害者とか一部の薬屋の団体とか、コンビニとか製薬会社とか、国会議員に接点のある人々だけが何らかの恩恵を受けられるって、可笑しくないだろうか?

 楽天に集まってきて薬を安く提供している薬局は地方の小規模な薬局であることが多い。

 私が以前風邪薬を購入した薬局は九州であった。

 それは、地方の小規模な薬局が通販と言う販売形態を採ることで初めて可能になる取引ではないか?

 地方再生とか口では美味いことを言いながら、通販という販路を潰すことでビジネスチャンスを奪う。

 それが国が大きな販売団体と結託して行っていることなのだ。

 ネットの通信販売は又、新聞やテレビという既存の広告媒体を経由しないで商売をしている性質上、マスコミなどのバックアップもなきに等しい。

 広告主でもないネットのショッピングモールをサポートする理由などないからだ。

 それよりなにより、一般消費者の選択の自由や権利を奪い、特定の者だけが利益をむさぼる。

 こんなことがまかり通る日本であってはならない。

 内需の拡大を声高に叫びながら、やっていることは国内の自由市場経済に対する妨害そのものだ。

 既得権益だけがいつまでも得をし、新興の力のない者は、市場から追い出される。

 初期投資が少なく始められるネットビジネスに国の規制が入ったということは、初期投資に大金を掛けられる、一部の人間だけがビジネスをスタートさせることが出来る、という事にならないだろうか。

 これは自由経済、民主主義、すべてを否定している。

 争うパイの面積が小さくなればなるほど、このような醜い横暴な、到底納得できないような悪質な規制強化、おかなしな規制緩和が行われるのだろうか。

 どうすれば、このような世界に終止符を打てるだろうか?

 選挙で政権が変われば、変わるのだろうか?

 変わるのもなら変わって欲しい。変わらなければならないだろう。

 官が民をがんじがらめに規制し、思う通りにコントロールし、一般の国民を飼い慣らされた家畜のような存在におとしめることを決して許すことは出来ない。

 

|

厚生労働省元官僚連続襲撃事件

 昨日、元官僚の家が襲撃されたという。

 内、二名は命を奪われ、一名は重傷だという話だ・・・。

 そのニュースが流れて日本国内は異様な空気が流れた、ような気がする。

 秋葉原で無差別テロが起きた時とは全く異質なものだ。

 あの時は何の罪もない人々がただそこにいただけで凶行に遭い、怪我をしたり命を落とした。

 自分も被害に遭っていたかも知れないと多くの国民は感じたことだろう。

 あれから、日本人は鈍感になったのか?

 それとも・・・?

 今回、憂うことがあるとすれば、この国民の反応の冷たさだろう。

 年金関連で先頭に立った元官僚達が命を狙われる。

 そのことに対して、「何故だ!?」と真から疑問を抱ける国民など日本には存在しないだろう。

 年金に絡む公務員の不祥事や不手際、誠意のなさ、何をやっても罰せられることがほとんどない公務員の待遇・・・。

 それらが明るみに出れば出るほど、国民の怒りややりきれなさはもう飽和状態に達している。

 多くの国民にとっては、元官僚が数人襲われ命を落としたからといって、自分たちの生活には全く響かないし、「へぇ~怖いね」とテレビを見る程度だろう。

 年の瀬が迫るにつれ、日本の深刻な不況は容赦なく形を表し、多くの国民に絶望感を与えることだろう。

 その時、もしかしたら、自分が誰かの凶行に遭うかもしれない・・・。

 どうだって良いから凶行に走り、どうだって良いから人の痛みにも鈍感になっていく。

 今はそんな時代のようだ。

 とても悲しいことである。

 いつになったら世の中が良い方へ向かうのだろう?

|

大麻に逃げる若者達

 このところ、大麻で捕まる学生が後を絶たない。

 有名大と呼ばれるところの学生が多いような気がする。

 何のことはない、自称インテリの学生達が金欲しさに犯罪に手を染めているということだろう。

 「俺らは頭が良いから、賢くサイドビジネスで金を稼ぐ」

 こんな考え方をする若者は昔から存在した。

 楽して金儲け。

 頭を使って金儲け。

 それはいつの時代でも若者の憧れである。

 こんな若者のお金に対する渇望は、大人の目から見ると痛々しく悲しい・・・。

 大学とは多くの若者にとって、初めて貧富の差を目の当たりし、体感する場所となることだろう。

 生まれが金持ちかそうでないかの差を思い知る。

 そして、汗水流し愚直に働いて生き、小銭を数えて暮らすような親の生き方を憎み、ひたすらに一発逆転を望む。

 大学生に詐欺に遭う者や、この手の犯罪に関わる者が多いのはそんな理由によるだろう。

 通常、若い人とは大体、16歳から20代くらいまでのことを言うと思う。

 一生に於いて本当にわずかな期間である。

 本来なら若木のように生き生きと光り輝いてなければいけない年代なのに。

 貧富の差は厳しい現実だ。

 そこから逃れることは誰にも出来ない。

 それならば、親も周りの人間も世間も今あるような拝金主義以上の価値観や生き方を、若者に提示しなければならないのではないだろうか?

 今世界がそのお金で大変なことになっている。

 金融至上主義が子供や若者達に悪い影響を与えている部分も大きいと思う。

 大人はもっと自分たちの地道な生き方に自信を持ち、胸を張って生きるべきだ。

 そのことが若者を助けるはずだ。

|

さらば小泉純一郎

 9月25日付で、思いがけないニュースがテレビに流れた。

 あの小泉純一郎氏が政界を引退するのだという・・・。

 ついに自らドロ船からの脱出を決めたのか。

 何にしろ、実に気分の良い知らせだった。

 これは国民にとって、一つの勝利かもしれない。

 小泉氏を信じて自民党に一票を投じて、自分たちが一体どのような目に遭わされたことか・・・。

 人によっては耐えられないほどの痛みを与えられ、国内の経済は見るも無惨なほどに衰退し、日本は日本でなくなってしまった。

 その事に気づいた国民は、声をあげた。

 「苦しい、助けて。こんなに痛いとは思わなかった」そして、「小泉自民党に騙された」と・・・。

 その声はインターネットやあらゆる通信手段、伝達手段を通じて日本中に広がった。

 まるで日本人の心の叫びがお互いに呼び寄せ合い、共鳴し合うように。

 その結果、先の参議院選挙で自民党は議席を失い、国会にねじれが生まれた。

 それら一連の出来事を自民党の人たちはどう思っているのだろう?

 人には魂があり、その気持ちには力がある。

 政治家はそれを舐めてはいけない。

 日本人はもう理不尽な我慢や痛みを押しつけられるのはご免なのだ。

 この先、待っているのは総選挙という、今日本で生きている日本人にとって避けて通ることは許されない正念場だ。

 潮目は変わっている。

 引き続き強い精神を持ち続け、政治から目を離さないことだ。

 そして、選挙で自分の一票を行使すべきだ。

 夕べはお祝いに美味しい牛肉を焼いて食べた。

 小泉氏が引退を週末に向けて発表してくれたお陰で、今週末は祝福ムードで国民の財布の紐がゆるみ、消費が伸びるかもしれない。

 その点は評価に値する。

|

あんことかお米とか・・・

 本日付で、おかしな臭いのする中国産のあんこを不審がり、味見した和菓子屋の従業員がその後嘔吐をしたというニュースがあった。朝日新聞

 ちょっとショックだった。

 大分前の話だが、自家製のデザート作りのため、あんこを購入する際、値段の安さから中国産のあんこを買うかどうか相当迷った記憶がある。

 結局、数百円の差だからと自分を納得させ、国産のあんこを買ったのであるが。

 お金のない時に、まさに断腸の思いがした・・・。

 そんな思いをして国産のあんこを手に入れて食べていても、ついうっかり「あんパン」などをスーパーで買ってしまったら意味がないのかもしれない。

 一個100円とか、5個で200円に満たない値段のあんぱんに国産のあんこが使用されているとは考えにくい。

 老舗のあんパン屋さんだったら違うかも知れないが。

 今は何でもコストありきで物が動いている。

 町のパン屋さんだってわからない。

 小麦粉が値上がり、米粉を使うようになったと聞くが、米粉では足りないしっとり感を出すために、小麦粉には必要なかった添加物(安価なラードなど)を入れているという。

 パンが値上がったという割に、タイムサービスなどの時間帯は前と同じくらいの値段でパンが売っていたりする。

 値上がり分を加算してはパンが売れないから、人智を尽くしてコストを削っている・・・のだろう。

 その人智の部分に、モラルがあるかないかは消費者には計りようがない。

 美味しいパンを食べて楽しいはずが、まるで期限切れの食品をおっかなビックリ食べるようにパンを食べなければならなくなった。

 その前に起きた「事故米騒動」には、はらわたが煮えくりかえる。

 太田農水相が辞職したそうだが、被害はまだまだ広がり続けるだろう。

 農水省という組織の底知れぬモラルの欠如に怒りを感じる。

 工業用糊の原料として使うという名目の事故米は、実は工業用糊には使われることはなかった。

 なぜならば、工業用糊の原料として「米」を使っている業者は日本にはいないからだ。

 その事が報道されたとき、「また役人の数字合わせか」と思った。

 日本の役人は数字を合わせさえすれば職務を全うすることが出来るらしい。

 車や工業製品などを思う存分輸出する見返りに、ウルグアイラウンドであてがわれた量の輸入米を入れる。

 米は余るし、農薬まみれであったりしてまともな売り物にはならない。

 それを捨てていることが国民にバレてはマズイと判断したのだろう。

 国内で厳しく減反を進めておきながら、米が余っていることが明るみに出ては国民の反発は免れないからだ。

 それに加えて、少しでも儲けたい。

 少しでも儲けたい役人と、それを元手にボロく儲けたい業者の利害が一致して、この事故米処理のシステムができあがったのだと思う。

 食用に転用されることは想定内だ。

 米を食品として売るから儲かるのであって、売る先のない工業用米という偽りの名目を考え出したのは役人か?

 いや、システム自体、考え出したのは役人だと考えるのが自然だろう。

 八方丸く収まるシステムだ、事故米を知らずに買わされた業者や、消費者という名の国民を除いては。

 役人たちは自分たちの処理能力の高さに酔いしれたことだろう。

 これと同じようなシステムが、日本のあらゆる業界に存在していると私は思う。

 それはまるで血管のように。

 国民の血税で買われた物を元手に特定の人間が金儲けをし、その見返りは役人に返る。

 国民は税金を吸い上げられた挙げ句に、とんでもないC級以下の食品を知らずに買わされ、食べさせられるのだ。

 輸出産業を守るために国民の血税で不要な輸入米を買っても、その大企業は国民に正規社員としての雇用の機会も与えてはくれず、反対に派遣労働者として国民を奴隷のように使う始末だ。

 そして、日本人は身の丈に合った暮らしをしろ、日本の人件費は高いとうそぶく。

 何のための政策か?

 このシステムを作り直すこと・・・、それは果たして可能なのだろうか?

 才能ある外科医が考え出した手術の方法のように、日本という本体を殺さずに、バイパス手術する術はあるのだろうか?

 激しい怒りとやりきれなさを感じた。

 もうすぐ選挙だ。

 新しい政権が生まれるのであれば、役人主導のすべての悪を洗いざらい白日の下にさらして欲しい。

 新しく生まれる政権に願い事が一つ増えた。

|

水没事故

 今月16日、栃木県鹿沼市で大雨で冠水した道路で軽自動車が水没し、乗っていた女性が溺死するという悲惨な出来事があった。

 この頃は、突然集中的に豪雨がある。

 夏休み中に嬬恋あたりを走っていたときにも突然雷雨となり、道路よりも一段低くなっている一軒の家の周りは水浸しで床下に水が達しそうな勢いだった。

 道路に水が来ないか気が気ではなかった。

 夏休みに田舎へ行くのも考え物だなと思う一因ともなる出来事だった。

 幸い我が家は高い位置にあり、首都であるということもあり、家の周りの道路はほぼ整備されていると言っても良い。

 それでも水が貯まる場所というのがあるし、大雨が降ると山から勢いよく水が流れてくる場所もある。

 大雨の時にマンホールから勢いよく水が噴き出すのを見たこともある。

 そこに自分の家が絡んでいないというのは運が良いという他ない。

 大雨は恐ろしいと思うようになった。

 以前、実家の近くの線路下のトンネルの道が天井まで冠水したのを目の当たりにしたことがある。

 何台かの車が水没していた。

 人的被害はなかったのであるが。

 車に乗っていると走っている場所によって、思いがけないことが起こることがあるから怖い。

 水に囲まれた状態では水圧によって車のドアは開かない。

 完全に水没した状態で初めてドアが開くらしいが・・・。

 しかし、その状態でパニックにならず、息を止めてドアを開けられる人がいるのだろうか?

 ダイビングを始めると、必ず水中でゴーグルやレギュレーターを外す訓練をする。

 何かのきっかけでレギュレーターなどが外れたときにパニックに陥らないためだ。

 水の中でパニックに陥れば、たちまちの内に水を飲んで死ぬ。

 何度もこの栃木の悲惨なニュースを聞いている内に、うちの夫が窓を破るための特殊ハンマーを買っておこうかと言い出した。

 なるほど、そういう道具はあった方が良いだろう。

 だが、いざというその時に、そのハンマーでガラスを割った途端に車内に水が入り込んでくる・・・らしい。

 別の訓練も必要かもしれない・・・。

|

京王八王子駅前ビルで起きた事件

 先日、京王八王子駅前のビル内で、痛ましい事件が起きた。

 やけを起こした青年によって若い女性が命を奪われ、もうひとりの女性は怪我を負った。

 そこに居合わせなければ殺されなかった命だ。

 犯人の男性は33歳、派遣労働者であったという。

 八王子市内のプレス工場へ勤め、そこで機械操作を誤ったのか”右手の三本の指を骨折して仕事を休んでいた”とニュースでは報道された。

 プレス工場というからには、プレス機に指を挟まれたと考えるのが妥当だろう。

 入院手術が必要な大怪我であったに違いないし、報道されるような工場勤務復帰の道が開かれていたとは到底思えない。

 利き手の自由が利かない障害者を雇う工場があるだろうか?派遣なら尚更だ。

 入院中になんらかの手当てや補償という名のお金が会社から支払われていたのかどうか?

 ちゃんとした会社の正社員と違い、派遣や日雇いは、怪我や病気で仕事を休めば即その日から収入が途絶え、食うにも住むにも困る状況に追い込まれる。

 まして、今回の犯人のような大きな怪我を負った場合、社会復帰は絶望的だろう。

 そして、彼は親に相談を試みたというが、相手にされなかったという。

 親はたぶん、彼に関わることによって、彼の生活を背負うことになることを恐れたのだろう。

 明日のお金にも困り、将来の就職口の当てにも困り、切羽詰った状態になったときに、親はその子供を見捨てた。

 親も一日一日を暮らすのに精一杯で、成人して独立した子供の面倒まで見切れないということなのだろう。

 それは野生の動物の親と同じような行為で、ひとりで生きていけない子供は死んで行くだけだ。

 人は獣とは違うはずだが・・・。 

 社会に絶望し、肉親、家族に絶望し、人間的な情感を失い、ただただ湧き上がる恨みやイライラ、攻撃的な気持ちを抑えきれずに駅ビルに向かったのだろう。

 傷の痛みもイライラを募らせたのかもしれない。

 こういう絶望殺人とも呼べる個人的無差別テロが起きると、あたかも「死ぬならひとりで死ねばいいのに」と言わんばかりの論調が出てくる。

 絶望して鬱になった人の場合は自殺を選ぶだろうが、絶望して人間性を失ってしまった人の場合はそうはならない。

 鬱になっていないから、死にたいというわけでもないのだ。

 イライラして物を壊す人がたまにいるが、それに近い感覚かもしれない。

 そして、また、自分を知ってほしい、自分がこんな悲惨な目に遭ったことを知って欲しいという気持ちもあったかもしれない。

 自分が辛い状況にあるとき、周りの人が楽しそうに幸せそうに見えることがあるが、犯人の場合、それが憎しみに変わったのだろう。

 それでいて、人気の少ない狙い易い書店を狙ったということは、秋葉原の犯人のような糞度胸は持ち合わせていなかったらしい。

 今の世の中、33歳で派遣で仕事をしていたら、先行きは暗い。

 派遣はあるとき何の前触れもなく首を切られる不安定な雇用形態だ。長く勤められる保証はどこにもないし、多くの場合、40歳くらいになれば仕事は激減するといわれている。

 頭脳労働でも肉体労働でも、効率の落ちてきた人間を使いたくないという企業側のニーズがあるからだ。

 あらゆる面でコストダウンが可能になるのが、派遣という雇用体系なのだ。

 政府と企業が諸手を挙げて賛成したバブル崩壊後の雇用体系だ。

 人間が機械のパーツのように扱われ、怪我や病気になれば簡単に取替えが効くから重宝この上ない。

 そして、用済みになった派遣社員を受け入れてくれる場所はない。

 政府や企業が自分たちの利益を最優先して導入した雇用体系が、今のような社会を作ったと私は思う。

 昭和の時代、今の派遣労働のようなアルバイトは学生がやることであって、低学歴でもほとんどの人が正社員になれた。

 アルバイトでも酷いことをされることはなかった。

 今は派遣会社と言う仲介業者が存在するために、アルバイトを大事にすることもない。

 見習い期間さえろくに与えられないで、即危険な職場で働かされる。

 大きな工場の入り口に自前の救急車が配備されているのを見たことがある。

 それだけ工場に事故はつき物なのである。

 工場に勤めるものは、そのことを見習い期間に上司や先輩達から叩き込まれなければ嘘だろう。

 だが、今の風潮は「即戦力」だ。

 見習いに金を払う気はさらさらないし、そのコストさえ惜しむ。

 工場の規模が小さければ小さいほど、安全対策はおざなりにされる。すべてはコスト削減のために。

 この事件は、バブル崩壊後の日本の社会が生み出した犯罪と言えるだろう。

 そのことを真剣に捕らえ、早急に対策をしなければ、この手の事件は減らず不幸な被害者も増え続けることだろう。

|

エコドライブ

 ガソリン高騰が続くためか、ちまたではエコドライブという言葉がちょくちょく聞かれるようになった。

 うーーーん。

 私はそういう「小技」にはあんまり良い印象を持つことが出来ない。

 それでなくても運転がお上手じゃない、流れに乗れていないドライバーが多いというのに。

 エコドライブだって・・・。

 そんなものに気を取られずに、お願いだから運転に集中してくれ!!!と言いたいところだ。

 出来れば、もみじマークのような、「エコドライバーマーク」のようなものを作って車に貼って運転して欲しい。

 道路はエコよりも安全優先で走りたい。

 

|

TASPOって何?

 2008年7月1日、つまり今日からタスポがなければ自動販売機で煙草を買えない制度がスタートした。

 このタスポとは、JT日本たばこ産業(株)が、未成年者の喫煙防止対策の一環として始めたらしい。

 未成年者の喫煙がそんなに問題になっているとは知らなかった・・・。

 では、未成年者の飲酒についてはどうなのだろう・・・?

 飲酒によって若者が命を落とすこともあるし、成人でもアルコール中毒によって人生を狂わせたり、死亡したり事故を起こすことも少なくない。

 煙草は槍玉に挙げられ、飲酒についてはスルー。

 何とも不思議なことである。

 このタスポ導入のために掛かった費用は900億円と言われている。

 そして、イマイチ普及していないらしい。

 それは当然だと思う。

 タスポカードはその人が未成年者でないことを証明するためのカードであるから、生年月日や住所氏名などの個人情報が登録されることになる。

 つまり、それはどこの誰が喫煙者であるかを、国が50%以上の株式を所有するJTという組織が把握するという意味である。

 この電子カードにどれほどの記憶機能があるのかは知らないが、特定の個人の煙草購入回数まで把握することが可能なのではないだろうか?

 そんなカードを自分から喜々として作る人の気が知れない。

 今の世の中、喫煙するということは非常に微妙な立場になる。

 出来れば隠しておきたい人だっているだろう。

 それは日本だけではない。

 どの国でも特に若い人たちの煙草に対する反発は、アンチ捕鯨と似ているくらいの激しさであると感じる。

 だからだろうか。

 隅の方に追いやられた喫煙室で煙草を吸う人たちの幸せそうなこと・・・。

 喫煙者たちにとっては煙草を吸うことは当たり前のことなのだろう。

 最近の煙草を巡る世の中の動き方には、胡散臭さを感じてしまう。

 煙草税問題のこともそうだ。

 煙草を一箱1000円にしろとか。それは法外な値段ではなかろうか?

 外国並みに言いながら、当たり前のように諸外国よりもより高く価格を設定しようとする。

 何故、今、煙草に関心が集中しているのかわからない。

 煙草による健康被害でも増えていると言うのだろうか?

 深く掘り下げて考えてみる必要があるかもしれない。

 煙草は人体に害を及ぼす、吸っている人以外にも害を及ぼす、ましてや未成年には脳の成長等にも影響が出るなどと言われて久しい。

 国が本当に国民や青少年の体のことを心配しているのであれば、煙草の販売を自粛すべきで、タスポカードを発行するよりも自動販売機を撤去すべきではないだろうか。

 コンビニの煙草の販売が40%~50%伸びたという話もある。

 自動販売機で青少年が煙草を買えなくなったのだとしたら、コンビニでは青少年への販売は完全に断たれているのかどうか?

 具体的な効果を数字にして国民に示す必要がある。

 表向きは青少年には買わせない、体に害があると言いながら、税収や金(売り上げ)のことで当てにしている。

 そういう汚い態度を取っている国って何だろう?

 一方では体の心配をして、一方では中毒にして金を巻き上げる。

 このことは両立出来ることではない。

 国が本当に望んでいることは何なのか、国民は注意して見守る必要があるだろう。

|

呆れた社保庁と大臣

 夕べ、テレ朝の報道ステーションで社保庁関連のニュースをやっていた。

 不祥事にまみれた社保庁を解体して、年金機構という新組織で新たに出直すという話である。

 都合が悪くなれば名前を変えて組織を再編し、あぶれた公務員には新たな受け入れ先を用意するというお決まりのパターンになりそうだ。

 その中で、国民として最も納得できないのは、懲戒処分された職員にも再雇用の道が開かれていることである。

 年金機構、正規職員の再雇用は9900人程度 2008年6月19日(朝日新聞)

 正規職員2割減、1万880人 年金機構発足までに削減 2008年6月30日21時32分(朝日新聞)

 一体、どれだけ国民はバカにされれば良いのだろうか?

 犯罪的な行為をした職員がいたとしても、雇い主である国が彼らを訴えなければ犯罪にはならない。

 よって罰せられることもないのだ。

 民間の会社であれば懲戒免職の上、刑事告訴されるような事案ではなかったろうか?

 官僚を縛る役割であるはずの政治家は全くその役目を果たさず、逆に役人のパシリとして機能しているという情けない有様だ。

 これら無能で無責任な人間達が今の日本を動かしているのだから、国民がどんどん不幸に、貧乏になって行くのも道理だ。

 あの舛添大臣には、ほとほと呆れる。

 最初は「駄目だ、許さない」と言いながら、数日経てば、色んな言い回しをしたり、言い方を変えたりして、結果的には行政のやりたい放題を許す。

 一つも毅然としたところがないどころか、公然と嘘をつく。

 今回のこともそうだが、年金や薬害のことでも、挙句にはマニフェストさえふっ飛ばす発言をする。

 呆れて物が言えないし、あんな人物を大臣に据える自民党と言うものが信じられない。

 先にも書いたが、朝まで生テレビに出ていた連中が今の世の中を煽動した観があるが、その中の一人が大臣になってこのザマだ。

 あのテレビに出ていた数人が今色々なところで大臣になったり、副知事になったりしているが、嘆かわしいことである。

 小泉一派の竹中もそのひとりであることは象徴的だ。

 メディアで人気をつけた者が政治と癒着し、間違った方向へ国を動かすことの一端を担うことの恐ろしさを感じる。

 彼らはメディアでの露出度が大きいだけに、影響力は計り知れない。

 それが作られたイメージであったとしてもだ。

 これらの流れを断ち切るために、一日も早い解散総選挙を望む。

 時間が経てば経つほど、世の中は悪くなるような危機感を強く感じる。

 

|

地形が変わった(岩手・宮城内陸地震)

 6月14日午前8時45分頃、岩手県奥州市と宮城県栗原市で震度6強の地震があったという。

 その時間帯、私たちは熟睡していた・・・。

 昼頃、起きてテレビを付けてビックリした!!!

 大慌てで携帯で東北にある実家へ電話したが、家の中の調度品が棚から落ちたという話だった。

 30秒間の揺れはとても長く感じたそうだ。

 今回の地震でも被害に遭われた方々はお気の毒としか言いようがないのだが、なによりも崩れた地形を見た時には衝撃を受けた。

 それは高層ビルが倒れるよりも衝撃的な光景である。

 地に足をつけて、とはよく言われる言葉だが、その我々が全面的に信じている地面が崩れるということの衝撃。

 逃げることも防ぐことも出来ない自然の猛威を見せつけられた観がある。

 栗駒山付近の温泉のある山中を走っていた道は、地面ごと崩れ落ち、地形は原型をとどめない程に変わってしまった。

 そこには二度と道路を通せないのではないかと思わせる有様だ。

 どんなに強固な橋桁や支柱を作って地震に備えても、地面が崩れ落ちてしまっては助からない。

 道路も人も橋も家も飲み込む自然の力に、ただ呆然とする思いだ。

 そういえば、その昔、宮城県沖地震があったときも、松島の○○岩みたいな景観が地震によってなくなったような覚えがある。

 地上だけでなく、海中でも地殻変動が起き、魚の流れが全く違うものになったりするから、地震とは恐ろしい。

 人の力の及ばないところで、人の運命を左右する力を持っている。

 今回の地震でも、そのことを強く感じた。

 一日も早い行方不明者の発見と、犠牲になった方たちのご冥福を祈る。

 

|

アキバへGO・・・。

 先日、秋葉原で無差別殺人が起きた。

 殺人に巻き込まれ、被害に遭われた方、そのご家族の人たちは無念というしかないだろう。

 お気の毒なことだ。

 犯人の若者は、学校卒業後、負けっぱなしの人生を歩んだそうだが、負け犬人生に絶望したのかもしれないが、人を巻き込み、ナイフで刺し、更に抉るという、それは正に冷血殺人マシーン。許されないことだ。

 一片の同情を挟む余地もない。

 この男は、元々、人を殺す方法について、何らかの知識を持っていたのだと思う。

 それを実際にやりたいと心のどこかで思っていたに違いない。

 人生に挫折したり、パッとしない人生を歩んでいる人は少なくないはずだ。

 みんなそれぞれ苦悩しながらも生きている。

 この男には謙虚さが全く感じられない。

 自分が思い描く人生が自分に与えられないことに苛立ち、恨み、絶望するばかりで、現実を受け入れ、それを改善しようとする努力が全く感じられないのだ。

 それはこの男個人の問題であるが、図らずも世間に露呈された、現代日本に拡がる若者の絶望的な労働環境については、大いに考えなければならないと思う。

 犯人の派遣時代の手取りは20万円だったという話がテレビのニュースで言われたが、別に紹介されていた派遣社員の手取りは15万円未満で、少ない月は10万円に満たないと言う話だった。

 私はこちらの方が派遣社員の実態に近いのではないかと思う。

 低賃金で、いつ切られるかともわからない不安定な職場で、今、多くの若者たちは働いている。

 一体どのくらいを派遣会社がピンハネしていることやら?

 30%は派遣会社の懐に入っているのでは?

 派遣で働く人たちは多くは借り上げのマンションや寮で生活しているから、昔の飯場で働いていた人たちと似た形態と言えるだろう。

 仕事がなくなれば、即住む家を失い、ホームレスに落ちるしかないのだ。

 今、代々木や多摩川の河川敷に住んでいる人たちは、そのなれの果ての姿だ。

 将来の保証もなく、年金の当てもなく、生活保護さえ与えられず、医療も満足に受けられない。

 将来のホームレス予備軍とも言える、そんな状態で働いている若者が一体どれほどいるのだろうか?

 どんな機会であっても、今の日本の問題点を考える機会にして欲しいと思っている。

 

|

もみじマーク

 道交法改正によって、75歳以上の高齢ドライバーに「もみじマーク」が義務化されるという。産経新聞

 そのことで、政府与党が見当違いの動きに出ているらしい。

 どうやら、「後期高齢者医療制度」に対する大批判、国民の怒りが進行中の今、さらなる国民の怒りを買うことになれば、次の選挙で苦しくなると心配しているようだ。

 馬鹿ジャネーノ?と思う。

 問題の根本が全くわかっていない。

 後期高齢者医療制度で国民が激怒したのは、その本質に流れる国民軽視の思想---国民生活を血の通わない数字や統計でしか考えない---だと思う。

 年金以外の収入増の見込めない高齢者から、乾いた雑巾を絞るように税金を搾り取る。

 呼び名なんかはどうだって良いのだ。

 年寄り扱いされたって実害などない。

 弱い国民から鬼のように金を搾り取り、数字を合わせることしか頭にない政府与党と役人に多くの国民は抑えようのない怒りを感じているのだ。

 私はもみじマークを車に貼ることにはおおむね賛成だ。

 車対車の場合、注意を喚起するサインだから、交通安全にも繋がるだろう。

 だが、対歩行者の場合、どれだけの効果があるものか?

 「ない」と言っても良いのではないだろうか???

 高齢ドライバーの事故を減らすためには、個人レベルの地道な安全教育(実地)や適正の見極めしかないのではないだろうか?

 特に今の高齢ドライバーが運転免許を取得した時代は、割といい加減な感じで免許を取得できた時代ではなかろうか?

 マニュアルからオートマに車が変わるという時代の流れもあった。

 今は亡き夫の伯父は80歳を越えても車の運転をしていたが、急発進、カーブに入る時に減速が不十分という癖があった。

 庭で車を庭石にぶつけて全損させたこともある。

 こういう運転をする高齢者は少なくない。

 その人たちが運転免許を取った時代は今よりも交通量が遙かに少なくて、事故に遭う確率も低かったのだろう。

 いずれにせよ、政府自民党が心配しているのは、高齢ドライバーの交通事故の増加問題などではなく、高齢有権者の機嫌を損ねて票を失うことだけなのだ。

 呆れて物が言えないとはこのことだ。

 

|

ガソリンを輸出?

 私には何人かのアメリカ人の友人がいるが、最近、ガソリン代の話題になった。

 午前と午後で値段が違っていたとか。

 1リッター1ドル25セント。

 ちなみに、今日、うちの近所は1リッター153円だった。

 彼らは車の他に、レジャー用のボートを持っていたりする。

 アメリカ人はかなりのガソリンを消費する国民であるはずだ。

 今日、テレビのニュースを見ていたら、日本からガソリンを輸出する話があるらしい。日経ネット

 なんだかなぁ・・・、と思った。

 またまた戦前に逆戻りしたような気すらする。

 日本では貧乏と節約が蔓延し、車を手放した人、車を持っていても必要最小限にしか乗らない人ばかりとなって、実はガソリンが余っているの???

 売るほど余っているのか・・・。

 リッチな国アメリカと比べても仕方ないことだが、あちらでは、クライスラーだかが、3年間ガソリン代2ドル99セント/1ガロンを保証すると言って新車販売の宣伝をしているらしい。

 随分と景気の良い話だ。

 誰もが国内消費に貢献しているような国だ、アメリカは。

 景気が悪くなって心配だと言っていた人さえ、3台の大きな車の他にボートを所有し、インテリア雑誌に出てきそうな素敵な家に住んでいる。

 ガソリン代が高くなったら、ボートの外出は控えましょう・・・という感じだろうか。

 パンがないならお菓子を食べて、と似てなくもない。

 まだまだ余裕があるんだね、あちらさんは。

 一方の日本は、「欲しがりません、勝つまでは」一本槍か。

 国力の違いをまざまざと見せつけられる思がする。

|

中国の大地震

 先日起きた四川大地震の被災地へ、ついに日本から援助隊が出動したという。

 日本にそういう災害時に派遣できる部隊があることを、日本人として誇りに思う。

 頑張って少しでも多くの中国人を救って来て欲しい。

 この未曾有の災害で、中国の人たちは今、とても困っている。

 普段から、中国に対する日本人としての思いは複雑だが、今はこれらの不運に遭った隣人を助ける時だ。

 飛ぶ鳥落とす勢いの中国に対して、これほど日本が役に立てるチャンスは他にはないだろう。

 連日映されるニュース映像を見るたびに、ひたすら家に向かって道なき道を歩き続ける中国の人たちの姿が、私は見たことのない東京大空襲後、焼け野原を上野から浦和まで歩き続けたという母の姿とだぶって見える。

 突然の自然災害ですべてを失ってしまった人々、涙を流す人々を見ると胸が締め付けられる。

 完全に倒壊し、瓦礫の山となってしまった建物を見れば、誰だって気が遠くなる。しかも、中には生き埋めになっている家族がいるのだ。

 ただ、そんな時でも、日本人と中国人は少し違うな、と思わずにはいられない。

 日本人だったら、瓦礫を前にしても涙は流さない人が多いだろう。

 亡骸を見るまでは、諦めないのが日本人だ。

 「もう絶対に助かっていないだろう」という状況においてさえ、心情的に諦められないのが日本人なのだとしみじみ思った。

 この先、どのような形で地震から復興していくのかわからないが、復興への道のりは遠く険しいものになるに違いない。

 先の中国国家主席の来日は、パンダ外交などと、殊更にパンダのレンタル料が高い面がクローズアップされ、批判の的となっていたようだが、今回、日本の救助隊が世界に先駆けて中国入りしたことは、この来日と無関係とは言えないと思う。

 中国と日本が良い関係を持つことは、お互いの国にとって国益となるはずだ。

 一筋縄ではいかない相手ながら、困ったときには助け合える、そういう関係を築き上げることも大事なことだ。

|

善光寺

 本日、18日、長野の善光寺が、北京オリンピックの聖火リレーへの参加辞退を発表したという。

 予定では、善光寺が聖火リレーの出発点になるはずだった。

 その声明の中で、「同じ仏教徒である僧侶が弾圧されている」と中国によるチベットでの武力弾圧のことが触れられていた。

 このことは、日本の仏教寺院として筋が通っているし、大英断であったと思う。

 私を含めた多くの日本人が、善光寺のこの英断を支持すると共に大変誇りに思っているに違いない。

 「よくぞ言ってくれた」と心から思う。

 これこそが、人の道を説く寺院のあるべき姿だと思う。

 宗教上、人道上の見地から、日本の一寺院の立場として善光寺が声明を出したのだから、中国も外交問題に持っていくことは出来ないだろう。

 善光寺には過去に何度か訪れているが、是非また参拝に行きたいと思った。

|

チベット問題と大国に怯える恐怖

 中国によるチベット弾圧は目を背けたくなるものだ。

 このような武力弾圧を行う国で「平和の祭典オリンピック開催」とは笑わせる。

 だが、世界の国々の大部分は、この状況を伝えられても、見て見ぬ振りだ。

 それは道理である。

 大国中国と正面切って喧嘩を売るような真似は、しない方が得策である。最後に宣戦布告する覚悟でもなければ、とても出来ることではない。

 こんな風に、力のない国は、時として大国に武力で言うことを聞かされたり、非人道的な弾圧を受けても、誰からも助けられることなく、そこに住む民衆はただ痛めつけられ泣くだけである。

 世界を支配、コントロールしているのは力である。

 日本はどうだろうか?

 普段、日本の軍事力のことなど考えたこともないのだけれど、日本は、平気で自国民を武力弾圧し、軍事力で隣国に睨みを利かせる中国の隣に位置するのだから、到底枕を高くして寝ていられる状況にはない。

 そのことを考えるとき、日米安保条約の意味は大きい。

 日本がアメリカという強国に守られていることは、全世界の誰もが知っていることである。

 アメリカの傘の下に居るから、日本はチベットのような目に遭わないと言えないだろうか?

 在日米兵の不祥事、思いやり予算などなど、日本人としては、未だに占領民のような屈辱を味わされることも度々であるが、それでも尚、日本はアメリカと関係を続けるべきだと私は思う。

 命はお金では買えない。

 アメリカを見ていると、兵士の命の値段が安いなぁ・・・と思わざるを得ない。

 日本がアメリカから独立して、自国は自国で守るとすれば、命の犠牲をも負わなければならなくなるだろう。そんなことに日本人は耐えられるのだろうか?

 民間人も有事に備えて、町内会で軍事訓練をする・・・。

 そんなのは嫌だ!!!

 日本は戦争によって大きな傷を負い、その傷を引きずっている。二度と日本は戦争をしたくないし、戦争をしてはならない。

 台湾の新しい政権は、親中国であると言う。

 それが現実だ。誰もチベットのような目には遭いたくないのだから。

 中国のような広大で資源もあり、お金もあり、そして、軍事力を持ちながら、傍若無人な国に対し、一国が意見することは命懸けである。

 日本が中国に意見するときは、日本国、及び日本人のためでしか有り得ないと思う。

 日本を含めた世界の自由諸国が、中国の非道を手をこまねいて見ているしかない理由は、そこにある。

 戦争まで行かなくとも、経済的な制裁措置を取られることがあれば、国、及びそこに住む国民はかなりのダメージを受ける。

 その覚悟なくして、人助けは出来ないということだ。

 ということは、ひとつの国が自国の国民を犠牲にしてまで、よその可哀想な国は助けてやることは出来ないということだろうか・・・。

 しかし、なんとも可哀想で、同じ人間として憤りを感じる。

 国連は一体何のためにあるんだろう?一体何をしているんだろう?

 オリンピックは何のためにやっているのか?

 今日、見た映像の中で、チベットの僧たちは泣いて訴えていた。

 傷ましいことである。

 神も仏もないのか。

 世界は彼らを救って欲しい・・・。

|

安部晋三元首相ひさびさ

 安部晋三元首相が、自民党有志の勉強会「クールアース50懇話会」の座長になったとかで、ニュースに出ていた。

 政治活動を本格再開、ってことだろう。

 安部晋三元首相と言えば、前代未聞の首相退陣劇を思い出させる。

 何の引継ぎもなしに、いきなり「明日辞めます!」って会社を辞めたみたいな感じ?

 「殿、ご乱心」的な辞め方であったことは確かだ。

 あの時、国民は呆れながらも、総理大臣の重圧に負け、精神的にプッツンきてしまった可哀想な人ということで、「それなら仕方ないね、さようなら」と、元首相に対する激しいバッシングは起きなかったように記憶している。

 だから、もう二度と表舞台には出てこないと思っていた。

 さすが政治家、面の皮が厚いと言うべきか。

 背負っているものが大きいと言うべきか。

 乗っている神輿がでかいのか。

 「美しい日本」の次は「美しい星50」だって。

 テレビに映された元首相の心ここにあらずの表情は相変わらずだった。

 総理大臣になったときとは別人だ。

 志半ばで挫折したり、病気になったり、失脚したりした政治家は、みんなあんな顔をしている。

 「もう終わったな」という顔。

 段々、テレビでも見なくなって、出るとすれば家が燃されたとか、そういう事件のときだけで。

 そして、しばらくすると、年取って消えて行く。

 運とかタイミングって大事なんだな、とあの人たちを見ていても思う。

|

自転車3人乗りって・・・

 今、自転車の3人乗りについての是非が問題となっている。

 自転車の3人乗りとは、母親が自転車の前と後ろにシートを取り付け、そこに子供を振り分けて乗せて走ることを指す。

 世の中不景気になり、自転車を自動車や公共交通に変わる手段として選択する人が増加し、それによって自転車に関係する事故が多発し、その取締りを強化する矢先に起きた問題である。

 そもそも自転車の2人乗り、3人乗りは道交法で禁止されている。

 禁止されているのだから、取り締まられて当たり前だ。

 昔から、大人の2人乗りは警官に止められることが少なくなかったように思う。

 ただ、子供を乗せたお母さんの2人乗りや3人乗りは、取締りの対象とはならず、黙認されていた形だ。

 それを、最近の自転車に関係する事故の増加に伴い、見直す運びとなったのである。

 それに対する母親たちの反発は大きかった。

 「危険なのはわかるけど、こちらも生活が掛かっている」というのが主な言い分のようだ。

 公安委員会は今までの道交法のルールを変えても良いという姿勢を取っている。

 それには危険でない3人乗り用自転車の開発が条件のようだが・・・。

 これですべてがクリアーになると思っているのだろうか、お役人は。

 そもそも自転車自体、免許も不要だし、徹底した講習さえ無しに誰でも乗れる乗り物である。

 そのことがひとつ。

 次に、危険じゃない3人乗り自転車の開発。

 これはメーカーの負担(開発コスト)と市場のニーズにより、実際に売り物になるかどうかわからない。

 というのは、母親たちは生活に追われているから自転車の3人乗りをしている訳で、趣味で乗っているわけではない。新しくそれ用に買い換える人がどれだけいるだろうか。

 車のチャイルドシートの普及率も依然低い。

 自動車さえ持てない人たちが、子供にどれだけのコストを掛けられるのだろう。

 たかだか数年間の使用のために。

 第三に道交法の問題。

 その自転車が車道を走るようになるのか、歩道に乗り入れて良いのかも再考されなければならないだろう。

 というのは、自転車はそもそも歩道を走ってはいけない乗り物で、車と同じ進行方向で車道を走るべきものだ。

 歩道は人間が歩く場所。

 それが2,30年前より東京都心では、自転車は車道を走らず歩道を走るようにという、警察や役所などからの指導があったはず。

 これは道交法を曲げたもので、安全のための例外的措置と言えるだろう。

 ただ、その後、3輪自転車が発売されてしばらくしたときに、場所を取るので走らせても良いものかどうか議論になったという話を聞いたことがある。

 これらのことから、法整備をどうするのか時間が掛かるのではないだろうか。

 同時に大人2人乗りできる自転車というものも割り込んで来るのではないだろうか?

 第四に事故の問題。

 3人乗りの自転車や2人乗りの自転車が歩行者に当たったときの衝撃は、その乗員を含めた重量に比例するのではないだろうか。

 重大な事故に発展する可能性がある。

 自動車やオートバイのように自賠責の保険を国が検討する必要が出てくるんじゃないだろうか。

 交通弱者の歩行者を守るために、保険が不可欠になるはず。

 それ用の自転車の開発にも、安定性だけでなく、自転車本体の強度、ブレーキ性能、色んなものがオートバイや車並みに必要となってくるだろう。

 その他、3人乗り自転車以前の問題で、自転車が長年抱えてきた大問題がある。

 それは駐輪場の問題だ。

 駅の周辺でも放置自転車が社会問題になって久しい。

 未だに解決できていない。

 3人乗り自転車が出た場合のことだが、現状では三輪車にするとか、補助輪をつけるとか、何パターンか案が出ていて、特許を申請しているものもあるという。

 それらのものは従来の自転車よりも遥かにかさばる。

 駅周辺や街にそれを吸収できるだけのスペースが確保されるのだろうか。

 また、一戸建てならまだしも、集合住宅などでは駐輪場が確保できるのだろうか。

 それらがクリアーできなかった場合には住民トラブルが発生するはずだ。

 自転車3人乗り問題は、今の日本の窮状を現す一つと言えるかもしれない。

 「便利だからこの位いいよね~」などという軽い気持ちで始まったことではないと思う。

 子供を2人や3人乗せて、時間に追われ、生活に追われ、これをやらなければ生きていけない人たちが増えたということだろう。

 これを根本的に解決するのは、ずばりお金だ。

 生活の安定性が戻らない限り、もっとひどい状態になっていくような気がする。

 現状に合わせてルールを変えていくだけでは、何も解決しないだろう。

|

平城遷都1300年マスコットに萎え~

 昨日、なにげにスカパーのテレビニュースを流していたら、平城遷都1300年記念マスコットの絵が紹介されていた。

 議論の的となっているということだ。

 平城遷都1300年記念マスコット

 一般公募されたイラストの中から選ばれたという話だ。

 芸大の先生の作品であるらしい。

 しかし、よくも、まぁ、あそこまでヘンテコなマスコット(笑)が生み出せたものだと感心してしまう。

 大人顔かつ大仏顔の童子(先生いわく)の頭から、「奈良と言えば奈良公園の鹿」の角が二本生えているところが、なんともやっつけ。

 滋賀県のひこにゃんとはまるで別次元のマスコットと言えるだろう。

 際物狙い、ゲテモノ受けを狙ったとしたら、当たりなのかもしれないが。

 作者もそのようなことを説明していた。

 市民の評判は芳しくなく、反対運動さえあるという。

 この選出の仕方は、禍根を残しそうだ。

 件の大仏顔の童子は、奈良のためのオリジナルではなく、先生手持ちのキャラクターを使用したことにも私は納得できない気分だ。

 いかにもやっつけな片手間仕事に見えるし、自身の宣伝活動のようにすら見えるからだ。

 しかも、このマスコットをよく見ると、まるで仏様と鹿(けもの)が合体した物で、そのコンセプトは甚だ仏を冒涜するものだ。

 仏を魔物に変えたと言われても仕方がない。

 しかし、この先生は、かなりKYだといえるかもしれない。

 日本各地を賑わせている、ご当地キャラクターの空気が全く読めていない。

 読めていないといえば、これを選んだ人たちにも同じことが言えるだろう。

 こういうものに携わる人たちは、もっと地元のことを大事に考えてあげなければいけないと思う。

 そのマスコットによって地元が栄えることを第一に考えなければいけない。

 目立ったもの勝ち、良くても悪くても話題になったもの勝ち、みたいな考え方はどうかと思う。

|

日本向け食品輸出ストップ(大連)

 北海道新聞によると、毒餃子事件の影響で、中国の大連では、二月中旬から日本向け食品の検査が厳格化し、更に検査が中断し、事実上輸出がストップしている状態だという。 北海道新聞

 このことは、一昨日、うちの夫が騒いでいたことなのだが、テレビではテレ朝の報道ステーションで取り上げられたのみだと言っていた。

 ついにそう来たか・・・という印象である。

 日本は落ちぶれたといっても、民主主義の文明国なのだから、毒入り餃子事件をうやむやに終わらせて中国餃子を日本に解禁させることは無理だ。

 国民が納得しない。

 中国はこの日本の「真相を追求し、責任の所在を明らかにしたい」という至極全うな態度に逆切れし、強攻策に出てきたというわけだ。

 「だったら、もう日本には何も輸出しないよ」

 とでも言いたげに。

 このように、外交の場面では、往々にして押したり引いたりという駆け引きが行われる。

 ここで引いたら馬鹿だ。

 いっそ、

 「だったらイラネーヨ」

 くらいの態度に出て欲しい。

 が、それをするためには、ある程度の食糧自給率がなければならない。

 日本国内で安全な食糧を確保し、「日本人は安全なものしか食わねーんだよ、タコ!」と言える様でなければならないのである。

 このことを政府はまじめに前向きに考えるべき時だと思う。

 食糧を他国に頼っている現状では、国民の生命線は他国に握られているのと変わらない。

 兵糧攻めに合った、戦時中の日本を思い出せばいい。

 日本は少子高齢化、人口減少の道を歩んでいるが、世界的に見ると世界の人口は増加の一途をたどっている。

 いずれ、食物の争奪戦が始まる。

 すでにマネーゲームでその兆しが出ている。

 日本は、その時に備えて、今から食糧自給率を上げる努力を始めなければならないと思う。

 今回の毒餃子事件を教訓にし、日本政府は一刻も早く食糧自給率を上げる政策に取り組むべきだ。

 それにしても、悔しいなぁ・・・。

 毒餃子の毒に当たった女の子は、一命は取り留めたわけだが、未だに退院できないという話だ。

 

|

軍艦と漁船

 イージス艦と漁船の事故で、漁師の男性がテレビでイージス艦を「軍艦」と言っていたことが印象的だった。

 軍艦。

 日本はかつて世界でも比類ない、見事で美しい軍艦を持っていた。

 それを作る能力が日本人にはあったからである。

 漁師は自衛隊のイージス艦を軍艦と呼んだ。

 その言葉の裏には、親しみと畏敬の念が込められてはいないだろうか。

 普段から、その横暴さに辟易していたのかもしれないが、巨大で威風堂々とした自国の軍艦を誇りと思う気持ちがあったはずだ。

 そのことを自衛隊の人々、関係者はどう思うのだろう。

 日本国の最前線で日本国民を守る頼りになる存在のはずが、こんな、殆どケアレスミスと言ってもいいような初歩的ミスで、漁船を真っ二つに裂き、漁師親子を冷たい海に沈めてしまうとは・・・。

 その後の対応もお粗末と言う他ない。

 悲しい、実にやりきれない事故である。

 事故は行きよりも、帰りに多発するという。

 それは、一仕事終えて、帰り道は気が緩むからだろう。

 長い訓練の後の待ちに待った母国への帰還で、もうまもなく帰港ともなれば、緊張の糸も切れ、気が緩んでいたということは大いにありうる話である。

 この事故の後、軍艦と漁船の関係が変わるのか、変わらないのか、それは私にはわからない。

 けれども、今は、自衛隊関係者は深く頭を垂れ、やりきれない悲しみを背負った犠牲者のご家族、関係者の怒りや嘆きを黙って受け入れるべきだと思う。

 合掌。

|

国技という名の相撲の限界

 ついに時津風部屋暴行致死事件で逮捕者が出た。

 昨日、テレビをつけていたら、アラーム音がして何事かと思ったら、速報のテロップが流れた。

 国会議事堂が爆破されたとか、政治家の誰かが刺されたとか、何か大事件が起こったと一瞬身構えてしまったではないか。

 速報で流すほどのことではないね。

 今回、不幸で陰惨な事件が明るみに出て、色んな人が色んな意見を言っているが、これは厳しい問題だと思う。

 まず、ご両親を含め、関係者が、この相撲部屋の実態を全く知らなかったということはないだろう。

 相撲は暴力ではないが、格闘技全般は、限りなく暴力に近いところで展開している世界である。

 闘争心がそうだろう。

 相手を完膚なきまでに叩くことは、普通の神経の人間にはなかなか出来ることではない。

 それが要求される世界が格闘技の世界だ。

 相手を打ち負かすことこそが、彼らの求めていることなのだから。

 そういう世界は、私たち一般の人が住む世界とは違う規範で管理され、回っているような気がする。

 思いやり、親切などは、必要ないどころか、時として邪魔にさえなるだろう。

 そんな精神では生き残っていけない世界なのではないか。

 相撲の世界は昔から、超封建的で、上下関係が通常では考えられない世界だという。

 一枚変われば天と地獄。

 幕の内とそれ以下。

 そうやって、切磋琢磨し、強くなってお金を得る。

 俗に言う、土俵には金も女も酒も埋まっている、みたいな。

 そういう世界のことだから、一般常識で物を言っても仕方がない部分があると思う。

 それは、日本人の新弟子が現在一人も来ないという数字にも出ていることだろう。

 ここに相撲の限界がある。

 近代的日本人が到底容認できないような暗部を抱えた相撲というものが、国技として認知されるべきものなのかどうか。

 そして、また、日本人のなり手がないからと、安易に外国人を相撲の世界に入れて、維持し続けることの是非について。

 相撲関係者は口を濁すばかりである。

 もはや、相撲という産業を維持するためだけに存在しているような相撲と言えないだろうか。

 相撲がK1などのような、アンダーグラウンドな匂いのする格闘技に成り下がらないことを祈るばかりだ。

|

倖田來未という品性

 このほど、倖田來未が「羊水腐る発言」について、謝罪したという。

 当たり前の話ではある。

 私にとって倖田來未とは、紅白歌合戦で見るだけの、えらく蓮っ葉な印象の歌手のでしかないわけだが、それにしても、なんとまぁ、酷い言葉が出るものだ。

 35歳を過ぎるとお母さんの羊水が腐るとかなんとか。

 非常に直接的で、グロテスクで、なんとも言えず不快な言葉である。

 女性が女性を貶めるとき、ここまで酷い言葉を吐き出せるのだなぁ、と感心する。

 男性の口からは出ない言葉だろう。

 羊水が腐る。

 こんな言葉、生まれて初めて聞いたよ!!

 悪意に満ち満ちて、底意地が悪く、まるで冷血な女看守のような残酷さを感じる。

 私はそれを失言だとは思わない。

 彼女の普段感じていること、思っていること、哲学なり人生観なりが、そのまま言葉になって出ただけのことだ。

 芸能人に一般常識や品性を求めちゃいけないのはわかっているが・・・。

 35歳を過ぎた妊婦に何か個人的な恨みでもあるのかな?とさえ思ってしまう。

 妊婦にも倖田來未にも関心はないが、まっこと、酷い言葉だ。

 顔が不細工だと、心もか?と思わずにはいられなかった。

|

政府が食糧自給率の低下を後押し

 先ほど、テレビのニュースでやっていたことだ。

 日本の食糧自給率は40%を切っていると言う。

 安い海外産の農作物が日本に押し寄せてくることにより、コストの高い日本の農産物は危機的状態だ。

 更に、幾つかの輸入農産物の関税を引き下げると言う。

 今回の中国産毒餃子事件が示すように、外国の食糧品のトラブルは解決が難しい。

 どの国も、自国へ他国の調査団が入り込み、調査することは嫌うだろう。

 そこで対応を誤ると、外交問題に発展することは想像に難くない。

 お金が絡むと人が変わるとは言うが、それが国単位で起きている。

 何故、日本政府は、ここまで外圧に弱いのだろう?

 今までどれだけ外圧に屈し、規制を緩和し、そのために国内産業を弱体化してきたことだろうか・・・。

 一度死んでしまった産業は、二度と生き返らない。

 毎年、何千戸もの酪農家が廃業しているという。

 コストが上がれども、卸価格が上がらず、暮らしが成り立たないためだそうだ。

 まず、売りたい小売価格があり、そこから卸価格が決まる。

 値段を決める際、生産者のコストは考慮されない。

 確かに、物には「売れる価格、売れない価格」があるが、生産者の生計が成り立たない価格で商品が流通していること事態、すでにその産業は崩壊していることを意味しないだろうか。

 大手スーパー、小売店が値段を牛耳る構造が、安ければ安いほど良しとする消費行動が、回りまわって、消費者の首を絞めることともなるだろう。

 安い中国製毒餃子で酷い目に遭った人たちが出たように。

 国は日本の国内産業を守るべきだと思う。

 容易に海外に門戸を開くべきではないと思う。

 国民の健康や生命の安全に重大な影響を与える食糧品については、特に厳しくあるべきだと思う。

 グローバル化は、一種の戦争じゃないだろうか。

 攻撃と防衛の精神がなければ、国はやがて、攻め滅ぼされるだろう。

|

あらたにすとは?

 2月から日本経済新聞と朝日新聞、読売新聞が共同で、「あらたにす」という新聞紙面読み比べのサイトを立ち上げたようだ。

 同じサイト内で三種の新聞を立ち読みできるのだから、新聞購読をやめた私としてはアリガタイ!太っ腹なサイトだと思って、早速見に行った。

 率直な感想を言えば、

 「新聞購読者募集窓口」とでも言えばいいのだろうか?

 新聞購読を呼びかける、宣伝サイト以上のものではなかった。

 それだけ、部数が落ちて困っているのだろう。

 今後も、他のネットのニュース速報と平行して、見出しチェックと、興味があれば記事を読むことはあるかもしれない。

 しかし、自称?オピニオンリーダーの新聞社が、3社で共同で事を起こすのって、何だろう?

 通常、意見の相違で、反目し合う立場を取っているのではなかったのか?

 不思議だね。

 本当に読み比べる意味があるのかどうか???

 まぁ、ないだろうね、暇でもない限り。

 新聞の価値は、テレビ欄と、折り込み広告と、地元の死亡広告くらいだろう。 

 ”新聞紙”としても、野菜を包んだり、油をふき取ったり、それなりに役立つものなのであるが。

 まぁ、この世から、消えてなくなることはないだろうけどね。(政府が必要とする限り)

 いずれにせよ、メディアの言うことは鵜呑みにしないことだ。

 彼らは「中立」じゃないのだから。

|

中国産の食品

 ついに被害者が出た!

 中国産の餃子で中毒症状を起こし、意識不明の重態に陥った女児のニュースを聞いて、不謹慎ながらそう思った私である。

 死亡者が出なかったことは幸いであるが、食中毒に遭われた方は相当な苦しみがあったことだろう。

 後遺症など残らなければいいのだが。

 スーパーで売られている安いニンニクが中国産だと気づいたのは何年前だったろうか?

 国産のニンニク一個の値段で10個くらい買えたのではなかったろうか?

 大変得をした気分になって買ったことを覚えている。

 かなり昔の話だ。

 その後、しばらくして、国産に戻したけれども。

 その直接のきっかけは覚えていないが、中国産に対する不信感と不安が理由であったことは間違いない。

 中国産野菜の悪評を聞く度、中国農民のインチキ行為(マツタケの重量を増やすために、マツタケの中に釘を仕込むなど)を聞く度、私たちの心は中国産のすべてのものに対して不信感でいっぱいになった。

 だから、基本的に、うちでは中国産の食材は買わない。

 怖くて買えないのである。

 中国は広くて、貧富の差も大きい。

 安全基準が統一されることは、下手をすれば一生ないかもしれない。

 貧しい末端の農民に、モラルや、食の安全性を説いても理解されることは困難だと思う。

 農民は貧しくても、学がなくても、畑や田んぼを耕し、百姓していればそれで良いという考えは間違いである。

 末端の農家にも、十分な生活、十分な教育が行き届いてこそ、安全な食が食卓へ届けられるのではないだろうか?

 その点で、現状の中国には限界があると思うし、中国産の食品の安全レベルが上がる日は遠いと考えざるを得ないのである。

 すかいらーくでは300種類、全食材の1割ほどが中国産のものであったとネット上の新聞記事で書いてあった。

 我が家はここ数年ファミレスから遠ざかっているが、中国産の食材を嫌って、ということも理由のひとつにある。

 不景気になって、どの業種も売り上げが減少し、コスト削減の努力なしでやっていけるわけがない。

 外食産業が安い中国産食材を使っていることは想像に難くなかった。

 安い値段で売っているものは、安い材料を使っているのだ。

 目に見えないものは怖いな、と思った。

 加工食品、出来合いのお惣菜、ファストフードや、食材の中ではウインナーソーセージやハムなど、原材料が直に見えないものは怖い。

 便利さと値段、安全や美味しさを天秤に掛けて、自分なりの基準で判断し、取捨選択していかなければならないと思う。

|