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2009年6月

Facebookに見るゲームによるコミュニケーション

 ここのところブログの更新が進まないのは、多分、Facebookのゲームのせいだと思う。

 好きなときにやり、嫌ならやらなければいい・・・が成り立ちづらいのがソーシャルネットワークサービス関連のゲームである。

 たとえば農場ゲーム。

 これは人気があるのだろう。幾つかのメーカーから出ている。

 土地を耕し、種を買い、種を蒔いて数時間から数日で収穫を迎える。そしてそれで得たコインで耕作地を増やしたり、樹木や家畜を殖やす・・・という仕組みである。

 それぞれ数人からの隣組的なグループを作り、お互いの耕作地を行き来し手伝い、それによって点数とコインを稼ぐ。

 ゲーム中にチャットなどのコミュニケーションを取ることもできるし、友達以外の新たな出会いを探したければ、市場や町などの場所で気に入ったavatar(ゲーム参加者のゲーム内での姿形)に声を掛けることも可能だ。

 農業であるからには、下手をすれば数時間放置しただけで畑が枯れて惨めな姿を晒すこともある。

 こういうのは見ていて気持ちの良い物ではないし、隣組の友達に対して実に格好悪い。

 それがこの手のゲームの核心部分だろう。

 毎日マメに来させるように工夫がなされている。

 また、一人でやるゲームではなく、友だちに自分がどういうゲームの展開をしているのかを見られるところが最高に面白く、病み付きになる部分に違いない。

 耕作地の配置や農作物の好みにも人柄は反映される。

 こつこつと耕作してコインを増やし施設を増やしたり農地面積を増やす人もあれば、手っ取り早く現金を入れて手に入れる人もいる。

 そして、自分のことを棚に上げ、

 「マジ、この人たちってば又ゲームやっている!ゲーム中毒じゃないの?」なんて友だちに対して思ったり。(笑)

 バーチャルの世界で、実際に知っている友だち同士があれやこれやと面白おかしく遊んでいる・・・。

 物を贈り合ったり、助け合ったり。競い合ったり。

 それがソーシャルネットワークサービス上のゲームによるコミュニケーションの手法なのだろう。

 毎日、毎日、これを繰り返せば、矢張りお互いに親しみは増し、前よりも仲良くなって当たり前だ。

 そして、何よりも、「自分だけがゲーム中毒じゃないんだ!」という安心感を得られるところが良いんじゃないかな?(笑)

 最近、思うのは、これらのゲーム会社が軒並みてこ入れ中ということである。

 どんどん魅力的なパーツやオプションを増やしている。

 参加者が減ったからなのか?

 だとすれば、これらのゲームも現実社会の景気感と間違いなく連動しているという感じがする。

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安い香水はもう買わない

 私は外出するときは舶来の高級ブランド香水(オードトワレ)を付けるのだが、普段家にいるときはもっとカジュアルなものが良いなと考え、安い香水をつけることにした。

 今回はとりわけ安い香水を買った。

 ちょっと安っぽい香りだし、香りも長く持続しないのであるが、「ま、いっかな」と思っていた。

 あの事が起こるまでは・・・・・・・・・。

 私は肌が弱いため、香水を直接身に振りかけることはしない。

 かぶれてボツボツが出来るからだ。

 だから、必ず衣服に振りかける。

 その結果、何枚かの普段着Tシャツに消えないシミが出来てしまった・・・。

 洗濯後にその血のようなシミが現れたのだ。(オレンジがかった茶色)

 あ、ありえない!!!

 中にはお気に入りのTシャツもあった・・・。

 普段着とはいえ、たとえばパーカーなどは、それを引っかけて近所のスーパーに買い物に行くこともあった。

 それが出来なくなった=生活必需服マイナス一枚のダメージは少なくない。

 Tシャツ一枚よりも安い香水だったのだから、笑える。

 トータル3枚の衣料品が表では着られない服になってしまった・・・。(家では着るが)

 安物買いの銭失いとは正にこのこと。

 今後は普段用の香水も、使い慣れた高級ブランド香水を使うしかないのか。

 もっと軽くて長時間持続する感じの良い香水ってないのかなぁ???

 今、外出用に使っている香水も、かれこれ買ってから9年だ。

 それまで好きで使っていた数種類の香水もまだ残っている。

 残っていないのは一種類だけかな?その香水をまた買おうかな・・・と思った。

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体重増について

 今年に入ってから、前年比600g~場合によっては1kg近くも体重が増えた。

 そして、どこが太くなったかというと・・・、矢張り足だった。

 下半身デブは、足から太るのか・・・。

 前にDHCのメリロートを飲んでいた頃が一番足が細かった。

 でも、そこまでして足を細くしてもな、とも思う。

 何故太ったのか?

 ゲームのしすぎだろう、多分。それで足が浮腫んでいるのだと思う。

 しかしながら、去年のレベルまで体重を落とすべきかどうかは熟考を要する。

 何故ならば、去年よりも今年の方が元気だからである。

 たかが数百グラムでも、体重が52kgを越えてヘナヘナ、クラクラ、「ああ、横になりたい」という疲労感を感じる機会が激減したのだ。

 目の周りの皺っぽさ?も軽減されたようだ。

 胸も微増のような???

 ただ、先日、不規則生活が祟ってか、体重が53kgを越えたことがあって、あの時のショックは忘れられない。

 便秘したせいもあり、お腹周りが明らかにぼってりと格好悪くなったのだ。

 ウエストは62cm程度であったが、もう、どこにもシャープさがない、ぼってりとしたオバサンぽいラインになっていた。

 ヒップサイズは2cmも増えていた!!!!!

 実際には浮腫みが原因だったらしく、翌日には800g程度は体重が落ちていたから安心したが・・・。

 あのまま中年太りになっていったら、と思うとぞっとする。

 夜、コストコで買ったチーズベーグルは今後一切食べないことにした。

 浮腫だけでなく、あのチーズベーグルを食べてからお腹周りが太ったような気がするからだ。(触った感じでわかる)

 一人半分弱の量にしかすぎないのに。

 それを食べて太ったと思ったら、それを止めるのがベストである。

 あの量でそれだけ太るとすれば、相当カロリーが高いということだ。原因は脂分にあると想像する。

 怖い、怖い。

 

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総理の器 -- 鳩山由紀夫 (党首討論に思う)

 今日、NHKの党首討論を始めから終わりまで47分見た。

 今回は何か”堪能した”という感じかも知れない。

 あれこそが、今、国民が求めている「希望の光」だったのかも知れない。

 多くの人は、民主党鳩山由紀夫党首の弁舌に聞き入り、大きく心を動かされたことだろう。

 何しろ、口が立つ。

 前から口が立ち、声が通る政治家だとは思っていたが、今日の鳩山氏は特に凄かった。

 郵政、社会保障、財源と、麻生総理の質問に対し、適切な答えをするだけでなく更に政府与党に対する批判で切り返す。

 あれは相手の話を聞き、内容を瞬時に精査し、相手の論理の破綻を突いていくという高等な討論術だと思う。

 そして、話が進むごとにどんどん相手の陣地に攻め込んでいく。

 本番であのスピードでそれが出来るとは大したものだ。

 攻め込まれた方の麻生総理は、うろたえを隠せず、自分の言葉で喋った部分とペーパー棒読みの部分が混然とし、鳩山と噛み合わないように噛み合わないようにと言う意図ばかりが目立ち、自分で自ら破綻して行ったように見えた。

 今回の討論の中で、一番心に残った言葉は、鳩山氏の

 「人の命よりも財源の方が大事かなぁ・・・」と、

 鬼の首を取ったかのように「財源」という言葉を振りかざしてきた麻生総理に対して発せられた言葉である。

 そこに鳩山氏が普段から訴える「友愛の精神」という言葉が見事にシンクロする。

 今の日本の国政に欠けているものはこういうことなのだ。

 小泉以降、未来に借金を残してはいけないという美辞麗句で国民を誘導し、痛みを伴う改革が断行され、バッサバッサと冷酷に切り捨てられて来た多くの予算がある。

 そこにあるのは銭勘定だけで、痛み苦しむ国民に情けは決して掛けられることはなかった。

 その結果、救急車は来ないは、受け入れる救急病院はないは、安心して子供を産める病院はないは、数年前までは考えられなかったような事態が起きている。

 その間、決して少なくない数の国民が命を落としてきた。

 それを現自公政権は見殺しにしてきたということなのだ。

 自殺者にしてもそうだ。

 特に今日は酷かった。

 麻生総理は、「毎年、毎年って言うけれど、バブルの頃はそんなに死んでいない」と軽口を叩くように国民の死を口にした。

 この世で苦しみ、死ぬところまで追い詰められた日本国民が気の毒だという一片の同情心も持ち合わせていないようだ。

 こんな人間が総理大臣なんかしてはいけない。

 国民の幸せな未来が描けるわけがない。

 こんな人間は政治家をやるべきではないと思う。

 日本人は他の国の国民と違い、これまで「人命第一、人命最優先」でやってきた。

 それが日本国民の共通概念と言っても良いだろう。

 その日本で、自公政権が推し進めてきた政治は、この日本人の精神に全く反している。

 鳩山氏の発言は、そのことを国民に再認識させたと思う。

 某局の夜のテレビでは、この鳩山氏の討論を「理想論」、麻生総理の討論を「現実論」と言い分けた。

 これは今の日本の悪しき風潮を象徴する発言である。

 美しい行いをした者に対し「偽善者」と茶化したり、真面目に頑張る人を「格好悪い」とあざ笑い、一生懸命お金を稼ぐ人を「金に汚い」と言い、そして、人間社会に於いて最も大事なことを言う人を「理想論」と馬鹿にする。

 彼らにとって現実とはそのように汚らしく、金や利権にまみれたものなのだろうか?

 

 今日、鳩山由紀夫は大きく見えた。

 この人なら日本を任せても良いかも知れない、と初めて思った。

 追記:総理の器: その後

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資本主義とゲーム

 ここのところ、Facebookでゲームに追いまくられて暮らしている。

 頻繁にゲームの世界と接している内に、そのゲームの中に共通している哲学のようなものが見えてきた。

 それは、ずばり資本主義社会、貨幣経済というものだ。

 ゲームの中で物を保有したり、色んな活動をするために、ゲーム内でのバーチャルなお金が必要となる。

 絶対にお金が掛かる。

 そのために働く、というのがそれだ。

 何か欲しい物があり、それを手に入れるためにお金を稼ぐ。そして、努力して働けば働くほどお金は増える。

 資本主義、貨幣社会では基本中の基本であるが、日本ではこの思想はないがしろにされてきたような気がする。

 それが、ゲームをやることによって、毎日、毎日、資本主義社会の原則を思い知らされることになる。

 実に興味深い。

 Facebookはソーシャルネットワークなのだから、必ず誰かと繋がっていることになる。

 そこで友達を募って、しかしながら個々にゲームで活動をする。

 ゲームを維持するためにスポンサーが広告を出しているのだが、なるべくそのゲームに頻繁に来させ、多くの人間に広告を見て貰う、ということがある。

 出来ればゲーム中毒にしたい。

 そのための仕掛けがいっぱいある。

 毎日ゲームに参加するたびにお金が得られる。

 くじ引きや福引きのようなギャンブル性。

 集めたくなるような魅力的なビジュアルのグッズ。(結構くだらないが、本当に欲しくなる!!)

 大体が、レベル1からレベル2,3,4,・・・・と成り上っていく仕組みだから、人の競争心を掻き立てる。

 対戦型のゲームは特に大人気だ。

 集める、戦う、上り詰める、そしてお金を稼ぐ。お金の遣り繰りする。更にメンバーを募集する。

 それが多くのゲームの共通するところだろう。

 友達を沢山誘えばポイントが溜まり、それがゲームの中で貨幣となり、欲しい物を手に入れることが出来たりする。

 それに付き合わされる友達はたまったものじゃない・・・というのはあるかもしれない。

 ゲームの中で買い物をすることで、スポンサーがエコ活動や動物保護活動に現実のお金を寄付する、というシステムのゲームも沢山ある。

 ゲームの中のポイントや貨幣がダイレクトに現実社会のお金と繋がっている。

 ゲームの中で良い服を着たり、良い道具を持ったり、素敵なプレゼントを友達に贈りたい場合、どうしてもゲーム内での貨幣が足りなくなるか、貨幣を稼ぐためにはうんと時間が掛かる。

 その場合、現実のお金やクレジットカードで貨幣やポイントを購入すれば良い。

 この課金システムは素晴らしいと思う。

 どこの世界でもバーチャルでも、人は虚栄心や物欲を持っている。

 それを競わせお金を使わせる。

 一回につき500円程度のお金である。

 中毒にしてお金を払わせる。

 そう書いてしまうと悪いことのように聞こえるが、中毒という言葉は、当事者にとっては「心酔して」とか「夢中になって」、「気に入って」という言葉に置き換えることが出来るだろう。

 すべての商売の基本ではないだろうか?

 インターネットというバーチャルな世界でいかにしてお金を得るかが課題になっていると聞く。

 Facebookのゲームのやり方はなかなか良いと感心している。

 私の友達の中でも、それらのゲームにお金を使っている人は存在する。

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