エアコンなしの夏

 我が家のお犬様の健康のため、今年の夏はエアコンの使用は控えることにした。

 どうするかと言うと、窓を開けて風で涼を取る。それだけである。

 今のところ、なんとか頑張っている。

 が、昨日はそのお犬様がハァハァと苦しげに見え、とうとうエアコンを作動させた・・・。

 と言っても健康のため、窓は開けたまま。

 人間だったら耐えられる程度の暑さだったので、時々エアコンの冷風を感じるように配慮した。

 思えば冷蔵庫と親に揶揄される我が家の冷房事情は冷え冷えが普通で、夏、愛犬がハァハァしているところを見ることは殆どなかった・・・。

 湿度の高い日でも、夜はまるで高原のよう。

 冷たい風が部屋に入ってくる。

 周りに家がないせいで、風の音、風に揺れる葉の音、それ以外には池の水音だけが聞こえる。

 ヒートアイランド現象とも全く無縁の世界である。

 まさにCool Summer Night!!!

 今まで長い年月、自然を遮断して暮らして来たことが嘘のよう・・・。

 夏の夜に包まれ、本当に幸せだ。

 とは言っても、盆地のような地形の我が家だ。

 これから本格的に30度オーバーのカンカン照りの日が来れば、エアコンなしではやってられない。

 断熱材のない古い家でもあるし、二階は40度にもなる。

 そして、又、風が全くない暑い夜はさすがに厳しいものがある。

 今のところは、夜、窓を閉めて寝ていても暑くて寝苦しいことはなかった。

 エアコンなしでも案外平気なものである。

 本当に暑い日は何十日もないはずだから、今年の夏は電気代がかなり節約できるはず!!

 結構期待している。

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東国原ショック

 自民党が現宮崎県知事である東国原知事を担ごうとしたことで、自民党に対する信頼は限りなくゼロかマイナスに近づいたと思う。

 これはジョークや単純な人気取りという話ではなく、歴史的な出来事と言って良いかも知れない。

 そもそも、一般国民は、芸能人という人間をよく知らない。

 そこから色んな誤解や事実誤認が生まれているのだと思う。

 芸能人が貧乏の家の生まれだからと言って、それを庶民派と呼ぶのは大間違いである。

 貧乏でも多種多様、色んなレベルがある。

 芸能というものが仕事の一つであるからと言って、それで一般的なカタギの職業を持つ人々と同列に考えるのも間違っている。

 職業にも色々なものがあり、貴賤或いは貴賤のようなものは確固と存在する。

 それらは一般常識と呼ばれる類のものであるが、それを理屈や屁理屈でねじ曲げ、ねじ曲げることによってものの本質が変形させられてしまっている。

 それが現在日本社会なのである。

 東国原知事の「自分を自民党総裁として担げ」というような発言を聞くにつけ、それをまともに取り上げるマスコミの対応を見るに付け、そのことを痛感せざるを得なかった。

 一般常識で考えたら「本気にするわけがない話」が、世間でまかり通るという事実。

 選挙というフィルターを介せば、それまでの経歴はなかったことになるというまやかし。

 そういう政治哲学がこの国を動かしているのかと思うと、本当に怒りがこみ上げてくる。

 テレビに出れば善。

 テレビに出ている人が良いと言えば買ってしまうテレビショッピングみたいだ。

 1万円未満の下着や健康器具なら諦めもつこうが、選挙となるとそうはいかない。

 先の郵政選挙で小泉自民党が圧勝し、我々日本国民は死ぬほどの痛みや辛苦を味合わされ、地方は壊滅的なまでにダメージを受けた。

 これが民主主義の恐ろしさである。

 その事を、今、日本国民は身にしみて感じているはずだ。

 何故、政権与党の自民党にはそのことがわからないのか?

 何故、今を生きる日本国民の心情が届かないのか?

 今回の東国原ショックを舐めてはいけない。

 国民に与えた怒り、失望、反感は計り知れないものがある。

 そして、又、驚くべき事に、この話はまだ終わっていないと言う・・・。

 東京都議選まであと数日のところでそれはないだろう。

 かつて一度でも自民党に一票を投じた大多数の日本国民は激しい怒りと同時に、悲しみを感じているに違いない。

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蛍狩り

 私の近所には蛍が出現する場所があって、そこには夜、近所の巨大な住宅団地からだと思うが、人がやって来るという話だ。

 何故人が来るのか?

 一つは口コミ。

 もう一つは、テレビの影響である。

 テレビに取り上げてしまえば、そこはもう秘密の穴場ではあり得なくなる。

 そして又、秘密の穴場だった時に来たのとは違う種類の人間達が訪れるようになる。

 これは近所の人にとって痛い話だ。

 家に狭い庭があったり、あるいはなかったりする住宅地の人々は、自然と離れて暮らしているためか、自然に反した行動を取る傾向だ。

 蛍が飛ぶのを見るだけでなく、取って持ち帰ってしまうのだそうだ。

 なんと可哀想な・・・。

 蛍が生息している場所には家は殆どなく、夜、白い光を放って飛ぶ蛍にとって楽園であったはずだ。

 人がそばにいても楽しげに飛んでいるようにも見えた。

 自分たちが狭い場所に閉じこめられて暮らしているからこそ、自由に飛翔するものに惹かれるのではないだろうか?

 アスファルトに囲まれた住宅地に持ち帰られた蛍は子孫を残すことはないだろう。

 このままでは蛍は減る一方だろう。

 ご近所さんで蛍を復活させようというテレビ局が用意した企画によって振り回され、その周りで蛍は乱獲され減っていくとは皮肉な、しかしながら、想定内の話である。

 これで蛍がいなくなれば、もう人も来なくなり、それはそれで良いのかもしれないとさえ思う。

 そういう私は、夜中、誰もいなくなったところで、こっそりと蛍を見に行く贅沢を味わう。

 大きな雨、台風があれば、蛍は簡単にいなくなってしまう。

 はかなく、美しい生き物なのだ・・・。

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Facebookに見るゲームによるコミュニケーション

 ここのところブログの更新が進まないのは、多分、Facebookのゲームのせいだと思う。

 好きなときにやり、嫌ならやらなければいい・・・が成り立ちづらいのがソーシャルネットワークサービス関連のゲームである。

 たとえば農場ゲーム。

 これは人気があるのだろう。幾つかのメーカーから出ている。

 土地を耕し、種を買い、種を蒔いて数時間から数日で収穫を迎える。そしてそれで得たコインで耕作地を増やしたり、樹木や家畜を殖やす・・・という仕組みである。

 それぞれ数人からの隣組的なグループを作り、お互いの耕作地を行き来し手伝い、それによって点数とコインを稼ぐ。

 ゲーム中にチャットなどのコミュニケーションを取ることもできるし、友達以外の新たな出会いを探したければ、市場や町などの場所で気に入ったavatar(ゲーム参加者のゲーム内での姿形)に声を掛けることも可能だ。

 農業であるからには、下手をすれば数時間放置しただけで畑が枯れて惨めな姿を晒すこともある。

 こういうのは見ていて気持ちの良い物ではないし、隣組の友達に対して実に格好悪い。

 それがこの手のゲームの核心部分だろう。

 毎日マメに来させるように工夫がなされている。

 また、一人でやるゲームではなく、友だちに自分がどういうゲームの展開をしているのかを見られるところが最高に面白く、病み付きになる部分に違いない。

 耕作地の配置や農作物の好みにも人柄は反映される。

 こつこつと耕作してコインを増やし施設を増やしたり農地面積を増やす人もあれば、手っ取り早く現金を入れて手に入れる人もいる。

 そして、自分のことを棚に上げ、

 「マジ、この人たちってば又ゲームやっている!ゲーム中毒じゃないの?」なんて友だちに対して思ったり。(笑)

 バーチャルの世界で、実際に知っている友だち同士があれやこれやと面白おかしく遊んでいる・・・。

 物を贈り合ったり、助け合ったり。競い合ったり。

 それがソーシャルネットワークサービス上のゲームによるコミュニケーションの手法なのだろう。

 毎日、毎日、これを繰り返せば、矢張りお互いに親しみは増し、前よりも仲良くなって当たり前だ。

 そして、何よりも、「自分だけがゲーム中毒じゃないんだ!」という安心感を得られるところが良いんじゃないかな?(笑)

 最近、思うのは、これらのゲーム会社が軒並みてこ入れ中ということである。

 どんどん魅力的なパーツやオプションを増やしている。

 参加者が減ったからなのか?

 だとすれば、これらのゲームも現実社会の景気感と間違いなく連動しているという感じがする。

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安い香水はもう買わない

 私は外出するときは舶来の高級ブランド香水(オードトワレ)を付けるのだが、普段家にいるときはもっとカジュアルなものが良いなと考え、安い香水をつけることにした。

 今回はとりわけ安い香水を買った。

 ちょっと安っぽい香りだし、香りも長く持続しないのであるが、「ま、いっかな」と思っていた。

 あの事が起こるまでは・・・・・・・・・。

 私は肌が弱いため、香水を直接身に振りかけることはしない。

 かぶれてボツボツが出来るからだ。

 だから、必ず衣服に振りかける。

 その結果、何枚かの普段着Tシャツに消えないシミが出来てしまった・・・。

 洗濯後にその血のようなシミが現れたのだ。(オレンジがかった茶色)

 あ、ありえない!!!

 中にはお気に入りのTシャツもあった・・・。

 普段着とはいえ、たとえばパーカーなどは、それを引っかけて近所のスーパーに買い物に行くこともあった。

 それが出来なくなった=生活必需服マイナス一枚のダメージは少なくない。

 Tシャツ一枚よりも安い香水だったのだから、笑える。

 トータル3枚の衣料品が表では着られない服になってしまった・・・。(家では着るが)

 安物買いの銭失いとは正にこのこと。

 今後は普段用の香水も、使い慣れた高級ブランド香水を使うしかないのか。

 もっと軽くて長時間持続する感じの良い香水ってないのかなぁ???

 今、外出用に使っている香水も、かれこれ買ってから9年だ。

 それまで好きで使っていた数種類の香水もまだ残っている。

 残っていないのは一種類だけかな?その香水をまた買おうかな・・・と思った。

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体重増について

 今年に入ってから、前年比600g~場合によっては1kg近くも体重が増えた。

 そして、どこが太くなったかというと・・・、矢張り足だった。

 下半身デブは、足から太るのか・・・。

 前にDHCのメリロートを飲んでいた頃が一番足が細かった。

 でも、そこまでして足を細くしてもな、とも思う。

 何故太ったのか?

 ゲームのしすぎだろう、多分。それで足が浮腫んでいるのだと思う。

 しかしながら、去年のレベルまで体重を落とすべきかどうかは熟考を要する。

 何故ならば、去年よりも今年の方が元気だからである。

 たかが数百グラムでも、体重が52kgを越えてヘナヘナ、クラクラ、「ああ、横になりたい」という疲労感を感じる機会が激減したのだ。

 目の周りの皺っぽさ?も軽減されたようだ。

 胸も微増のような???

 ただ、先日、不規則生活が祟ってか、体重が53kgを越えたことがあって、あの時のショックは忘れられない。

 便秘したせいもあり、お腹周りが明らかにぼってりと格好悪くなったのだ。

 ウエストは62cm程度であったが、もう、どこにもシャープさがない、ぼってりとしたオバサンぽいラインになっていた。

 ヒップサイズは2cmも増えていた!!!!!

 実際には浮腫みが原因だったらしく、翌日には800g程度は体重が落ちていたから安心したが・・・。

 あのまま中年太りになっていったら、と思うとぞっとする。

 夜、コストコで買ったチーズベーグルは今後一切食べないことにした。

 浮腫だけでなく、あのチーズベーグルを食べてからお腹周りが太ったような気がするからだ。(触った感じでわかる)

 一人半分弱の量にしかすぎないのに。

 それを食べて太ったと思ったら、それを止めるのがベストである。

 あの量でそれだけ太るとすれば、相当カロリーが高いということだ。原因は脂分にあると想像する。

 怖い、怖い。

 

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総理の器 -- 鳩山由紀夫 (党首討論に思う)

 今日、NHKの党首討論を始めから終わりまで47分見た。

 今回は何か”堪能した”という感じかも知れない。

 あれこそが、今、国民が求めている「希望の光」だったのかも知れない。

 多くの人は、民主党鳩山由紀夫党首の弁舌に聞き入り、大きく心を動かされたことだろう。

 何しろ、口が立つ。

 前から口が立ち、声が通る政治家だとは思っていたが、今日の鳩山氏は特に凄かった。

 郵政、社会保障、財源と、麻生総理の質問に対し、適切な答えをするだけでなく更に政府与党に対する批判で切り返す。

 あれは相手の話を聞き、内容を瞬時に精査し、相手の論理の破綻を突いていくという高等な討論術だと思う。

 そして、話が進むごとにどんどん相手の陣地に攻め込んでいく。

 本番であのスピードでそれが出来るとは大したものだ。

 攻め込まれた方の麻生総理は、うろたえを隠せず、自分の言葉で喋った部分とペーパー棒読みの部分が混然とし、鳩山と噛み合わないように噛み合わないようにと言う意図ばかりが目立ち、自分で自ら破綻して行ったように見えた。

 今回の討論の中で、一番心に残った言葉は、鳩山氏の

 「人の命よりも財源の方が大事かなぁ・・・」と、

 鬼の首を取ったかのように「財源」という言葉を振りかざしてきた麻生総理に対して発せられた言葉である。

 そこに鳩山氏が普段から訴える「友愛の精神」という言葉が見事にシンクロする。

 今の日本の国政に欠けているものはこういうことなのだ。

 小泉以降、未来に借金を残してはいけないという美辞麗句で国民を誘導し、痛みを伴う改革が断行され、バッサバッサと冷酷に切り捨てられて来た多くの予算がある。

 そこにあるのは銭勘定だけで、痛み苦しむ国民に情けは決して掛けられることはなかった。

 その結果、救急車は来ないは、受け入れる救急病院はないは、安心して子供を産める病院はないは、数年前までは考えられなかったような事態が起きている。

 その間、決して少なくない数の国民が命を落としてきた。

 それを現自公政権は見殺しにしてきたということなのだ。

 自殺者にしてもそうだ。

 特に今日は酷かった。

 麻生総理は、「毎年、毎年って言うけれど、バブルの頃はそんなに死んでいない」と軽口を叩くように国民の死を口にした。

 この世で苦しみ、死ぬところまで追い詰められた日本国民が気の毒だという一片の同情心も持ち合わせていないようだ。

 こんな人間が総理大臣なんかしてはいけない。

 国民の幸せな未来が描けるわけがない。

 こんな人間は政治家をやるべきではないと思う。

 日本人は他の国の国民と違い、これまで「人命第一、人命最優先」でやってきた。

 それが日本国民の共通概念と言っても良いだろう。

 その日本で、自公政権が推し進めてきた政治は、この日本人の精神に全く反している。

 鳩山氏の発言は、そのことを国民に再認識させたと思う。

 某局の夜のテレビでは、この鳩山氏の討論を「理想論」、麻生総理の討論を「現実論」と言い分けた。

 これは今の日本の悪しき風潮を象徴する発言である。

 美しい行いをした者に対し「偽善者」と茶化したり、真面目に頑張る人を「格好悪い」とあざ笑い、一生懸命お金を稼ぐ人を「金に汚い」と言い、そして、人間社会に於いて最も大事なことを言う人を「理想論」と馬鹿にする。

 彼らにとって現実とはそのように汚らしく、金や利権にまみれたものなのだろうか?

 

 今日、鳩山由紀夫は大きく見えた。

 この人なら日本を任せても良いかも知れない、と初めて思った。

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資本主義とゲーム

 ここのところ、Facebookでゲームに追いまくられて暮らしている。

 頻繁にゲームの世界と接している内に、そのゲームの中に共通している哲学のようなものが見えてきた。

 それは、ずばり資本主義社会、貨幣経済というものだ。

 ゲームの中で物を保有したり、色んな活動をするために、ゲーム内でのバーチャルなお金が必要となる。

 絶対にお金が掛かる。

 そのために働く、というのがそれだ。

 何か欲しい物があり、それを手に入れるためにお金を稼ぐ。そして、努力して働けば働くほどお金は増える。

 資本主義、貨幣社会では基本中の基本であるが、日本ではこの思想はないがしろにされてきたような気がする。

 それが、ゲームをやることによって、毎日、毎日、資本主義社会の原則を思い知らされることになる。

 実に興味深い。

 Facebookはソーシャルネットワークなのだから、必ず誰かと繋がっていることになる。

 そこで友達を募って、しかしながら個々にゲームで活動をする。

 ゲームを維持するためにスポンサーが広告を出しているのだが、なるべくそのゲームに頻繁に来させ、多くの人間に広告を見て貰う、ということがある。

 出来ればゲーム中毒にしたい。

 そのための仕掛けがいっぱいある。

 毎日ゲームに参加するたびにお金が得られる。

 くじ引きや福引きのようなギャンブル性。

 集めたくなるような魅力的なビジュアルのグッズ。(結構くだらないが、本当に欲しくなる!!)

 大体が、レベル1からレベル2,3,4,・・・・と成り上っていく仕組みだから、人の競争心を掻き立てる。

 対戦型のゲームは特に大人気だ。

 集める、戦う、上り詰める、そしてお金を稼ぐ。お金の遣り繰りする。更にメンバーを募集する。

 それが多くのゲームの共通するところだろう。

 友達を沢山誘えばポイントが溜まり、それがゲームの中で貨幣となり、欲しい物を手に入れることが出来たりする。

 それに付き合わされる友達はたまったものじゃない・・・というのはあるかもしれない。

 ゲームの中で買い物をすることで、スポンサーがエコ活動や動物保護活動に現実のお金を寄付する、というシステムのゲームも沢山ある。

 ゲームの中のポイントや貨幣がダイレクトに現実社会のお金と繋がっている。

 ゲームの中で良い服を着たり、良い道具を持ったり、素敵なプレゼントを友達に贈りたい場合、どうしてもゲーム内での貨幣が足りなくなるか、貨幣を稼ぐためにはうんと時間が掛かる。

 その場合、現実のお金やクレジットカードで貨幣やポイントを購入すれば良い。

 この課金システムは素晴らしいと思う。

 どこの世界でもバーチャルでも、人は虚栄心や物欲を持っている。

 それを競わせお金を使わせる。

 一回につき500円程度のお金である。

 中毒にしてお金を払わせる。

 そう書いてしまうと悪いことのように聞こえるが、中毒という言葉は、当事者にとっては「心酔して」とか「夢中になって」、「気に入って」という言葉に置き換えることが出来るだろう。

 すべての商売の基本ではないだろうか?

 インターネットというバーチャルな世界でいかにしてお金を得るかが課題になっていると聞く。

 Facebookのゲームのやり方はなかなか良いと感心している。

 私の友達の中でも、それらのゲームにお金を使っている人は存在する。

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党首討論をチラ見

 昨日、党首討論があったらしい。

 地上波のニュースでチラ見した。

 結果は思った通り、鳩山民主党党首がズバズバと滑舌良く切り返していた。

 今回の党首討論で「もうお腹一杯」である。

 総理大臣である麻生氏は、苦しくなると「西松建設」問題を水戸黄門の印籠みたいに振りかざし、その薄ら笑いを浮かべた表情からは汚らしい品性しか見ることは出来なかった。

 小沢秘書逮捕事件の首謀者が自分であり、それが上手くいったことを誇っているのか、その厚顔無恥ぶり、国民を端から馬鹿扱いする傲慢さに怒りではらわたが煮えくりかえった。

 あの事件で国民が扇動され、小沢叩きが国民規模で起こらなかった時点であれは失敗のはずなのだが・・・。

 それを失敗と認めたくないのならまだしも、失敗だと理解できないとすれば、政治家としてお陀仏だな・・・と思う。

 党首討論で小沢問題を取り上げて責めれば、鳩山代表が額に脂汗を浮かべ、苦しげに口を閉ざすか、急所を刺されてあらぬ世迷い事でも口走ると思ったのだろうか?

 そんな馬鹿な。

 鳩山氏は国会でも朗々と持論を喋り続ける事が出来るタイプの政治家である。

 すでに司法へ持って行かれた問題について、国会の場で取り上げ、ただ政敵を叩く材料としてほじくり返し、それが一体何になるのだろう?

 悲しいことに国民に対する人気取りになっていない。

 その事を麻生総理は全く感じないから出来る芸当なのだろう。

 愚かさもあそこまで行けば、恐怖を感じる。

 それは、人の痛みを感じない人間に医療行為をさせることと似ているかも知れない。

 国民は、あの馬鹿丸出しの総理大臣を恐れるべきである。

 「何をされるかわからない」のだから。

 手足を縛られ、麻酔もなくて医療行為をされる現場を想像してみればいい。

 鳩山氏には「喋りが出来る」という武器があるのだから、今後もいろんな場所でガンガンに喋り、国民に政策を訴え続けるべきである。

 そうすることで、より国民の理解と支持を受けられるはずである。

 これからが正念場だ。

 政権交代という戦後始まって以来の大仕事をやり遂げなければならないのだから。

 他の党員たちも一丸となってバックアップすべきである。妙なスタンドプレーをする輩は世の中の流れを目の当たりにするときが来るだろう。

 しかし、ほぼすべてのマスコミが、与党寄りの態度を取っているのが相変わらず麻生自公政権の断末魔のように見える。

 なんとも哀れだ。

 討論でケチが付けられないとなれば、野次にケチを付ける始末。

 マスコミは自分たちの将来をそろそろ考えるべきじゃないのだろうか?

 国民から疑念を抱かれ、そっぽを向かれるとわかっているのだろうか?

 もっとニュートラルにありのままをニュースにすれば良いだけのことなのに。なんとも薄汚い。

 

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ホームセンターやスーパーのレジ打ちに見る格差社会

 最近、通販が流行っていると言うが、家に居ながらにして買い物が出来るという利便性もさることながら、劣化日本人と遭遇せずに買い物をすることが出来るというメリットは非常に大きいのかも知れない。

 ここのところ、ホームセンターなどに出掛けるたびに、昔では考えられないような、劣化した日本人のレジ打ちに当たるような気がする。

 手先、指先の動作の鈍さ・・・。

 あの手つきの悪さは生まれつきなのだろうか?

 二桁の年数を生きてきてあの程度の手配りしか出来ないようでは、これから上達するとは思えない。

 また、そこまで丁寧な指導はなされないとも思う。

 何故ならば、レジ打ちとは誰でも出来ると見なされている仕事の一つであるし、長くやって熟練して値打ちが出るという職種でもないからだ。

 そういう指導をするために掛かる時間や経費をカットするため、釣り銭が自動的にレジから出てくる装置も今はある。

 それ故、益々誰でも良いから雇い、要らなくなったら首にするという雇用の仕方が定着するようになる。

 先日のホームセンターは最悪だった。

 レジを打つ若い男性の要領が極端に悪く、「福祉事業の一環として、知能が若干劣る人を雇っているのかな?」と思わせたほどだ。

 人の質問にきちんと答えられないのだ。

 今時、レジや売り場でものを訪ねて答えられる店員がいれば、その人は優秀な方だと言えるだろう。

 その彼がいる売り場の雰囲気はギスギスしてとても悪かった。

 彼に関わった多くの客が苛つき、ラチがあかなくなると苛ついた空気を背負って店内を歩き、サービスカウンターまで出向く。

 そうやって売り場全体にイライラが伝染するのだ。

 なんでこんな人を雇っているのか本当に呆れた。

 しかし、別の日に同じホームセンターを訪れ、雰囲気の違いに驚かされた。

 レジ打ちには愛想の良い接客が出来るオバサンがいて、彼女によく懐いている若い男性がテキパキと動き回っていた。

 尋ねた商品についてわからなければ客と一緒に棚まで見に行き、担当者にきちんと取り次ぎをする。

 それらの対応がきちんとしているから、店内の雰囲気はとても感じが良く活気が感じられた。

 接客が出来る人の特徴は、適切な対応、そして、「すみません」とか「お待たせしてしまって」とかのつなぎの言葉を明るい感じで客に言えることが大きい。

 その多くはオジサンであったりオバサンであったりする。

 客の立場からすれば、そういう使える人にこそ店員として働いて欲しいのであるが、働く立場からすれば、同じ賃金で使えるが故にこき使われ、使えない人たちの分も責任を背負わされ働くことは辛いことだろう。

 まるで社会主義の国のようだ。

 働いても働かなくても同じ賃金。だったら働かない方が得・・・。

 一生懸命頑張っても正社員への登用があるわけでなし。でも、毎日頑張っている。人として立派なことだ。

 一方、使えない人たちのことだが、これからはレジ打ちなどのような仕事は、いわゆる能力が必要とされないどうでも良い仕事として定着していくだろう。

 以前、アメリカへ行ったときに驚いたのであるが、空港職員の態度が日本では考えられないくらいいい加減だったのである。

 無駄口は叩くは、立っている姿勢は悪いは・・・。

 それが許されるのは、その仕事が「誰でも出来るどうでも良い仕事」だと世間で認知され、「その仕事に就いているのはその程度の能力しかないから」とはっきりと認識されているからに他ならない。

 日本にもそれと同じような格差が定着するだろう。

 若い人が要領悪く、感じも悪くレジ打ちをやっているのを見ると、これらの人々は何年経っても同じ所に留まるしかない人々なのだろうな、と思わずにはいられない。

 それを可哀想だと思う余裕は私にはない。

 十分に不快な目に遭わされているのだから。

 不快であるばかりか、時には客が損害を被ることもある。

 ある時、夜のスーパーへお弁当を買いに行ったときのことである。

 レジにはいかにも頼りない、しかも注意散漫で落ち着きがなく、無駄な動きが多い感じの見習いバッジを付けた若い女性がいた。

 一番空いているからと、そのレジに入ったのが運の尽き・・・。

 透明プラスチックのケースに入った太巻きをレジ袋におぼつかない手付きで入れようとしたその時、フタがぱっかり開いてレジの台の上に太巻きを撒き散らした・・・・・・。

 あ、ありえない・・・。

 そんな時、今まで述べてきたような使えないレジ打ちの人たちは、決してすぐに謝って事を納めようとはしない。

 更に悪いことに、その太巻きは最後の1パックだった。

 レジ打ちの女性はまず店長の所に伺いに行き、その足で私たちの前に現れ、「同じものがありません。どうしますか?」と言ったのだった。

 言われたこちらは唖然とした。

 太巻きのパックを撒き散らすほどの要領の悪さ、接客能力のなさもさることながら、そのスーパーの店長の指導の悪さにも呆れた。

 スーパーのレジ打ちが使い捨ての人員であるように、店長も又、派遣の人なのかも知れない。

 そのメンバーで夕方から閉店までの数時間、スーパーは回されているということだ。

 そんな状態のスーパーで文句を言っても始まらない。

 これから我々消費者はどうしたら不快な目に遭わずに買い物を済ますことが出来るのか???

 様々な場面で人の能力差に直面し、昔のようなレベルの高い接客をどこでも受けることは不可能になった。

 個人レベルのやる気のなさがそうさせているのかもしれない。

 一生つまらない仕事で人生を終えなければならないとすれば、それもまたやむを得ないことなのかもしれない。

 何とも世の中の残酷な部分を見たような思いがする。

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